ふづきになりてぞ参りたまひける
7月になって、ようやく参内されたのである。
めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひのほど限りなし
久しぶりにお目にかかる感慨はひとしおで、帝のご寵愛のほどは限りがない。
すこしふくらかになりたまひて、うちなやみ面痩せたまへる、はた、げに似るものなくめでたし
少しふっくらとして、悩んで面痩せしてしまっていらっしゃるが、そうであっても、他にはない艶やさでいらっしゃる。
例の、明け暮れこなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき空なれば、
以前のように、明け暮れとなくお側にばかりいらして、管弦のお遊びも盛んに催される季節の頃であるので、
源氏の君も暇なく召しまつはしつつ、御琴、笛など、様々に仕うまつらせたまふ
源氏の君も頻繁に宮中にお呼ばれになり、お琴や笛などをご披露になられる。
いみじうつつみたまへど、忍びがたき消しこの漏り出づるをりをり、
お気持ちの平静を装っていらっしゃるけれども、隠し通せない感情の綾が見え隠れする折々に、
宮もさすがなることどもを多く思し続けけり
さすがに宮様も心中、様々に思いが乱れるのである。
2011年9月3日土曜日
2011年9月2日金曜日
げに、言ふかひなのけはひや
かの山寺の人は、よろしくなりて出でたまひにけり
その頃、山寺でお会いした尼君は、病が少し回復して山をお下りになられていた。
京の御住みか訪ねて、時々の御消息などあり
京都の住処を訪ねて、時々お手紙を差し上げる。
同じ様のみあるもことわりなるうちに、この月頃はありしにまさるもの思ひに、ことごとなくて過ぎゆく
以前と同じ内容のお返事しか頂けず仕方なく思うところに、この何ヶ月は以前にも増して藤壺の宮へのご執心が深く、他のことには気が廻らずに時が過ぎていく。
秋の末つ方、いともの心細くて嘆きたまふ
晩秋の折、源氏の君は、大変心細くてため息をつかれる。
月のをかしき夜、忍びたる所に、からうじて思ひ立ちたまへるを、時雨めいてうちそそく
月のきれいな夜に、ひそかな通い処にかろうじて行こうと思い立ったところに、時雨のような雨がパラパラと降りだしてきた。
おはする所は六条京極わたりにて、内裏よりなれば、少しほど遠き心地するに、
おいでになられた場所は六条京極のあたり、宮中より退出されてこられたので少し遠くまで来た心地がするところで、
荒れたる家の木立いともの経(ふ)りて、木暗く(こぐらく)見えたるあり
荒れた屋敷で、年代物の木立がうっそうとしていて、月の光さえも遮られてるように見える場所がある。
例の御供に離れぬ惟光なむ、
例のお供として、いつも側にお仕えする惟光が、
故あぜちの大納言の家にはべりて、
「亡くなりました、あぜちの大納言の家でございます。
もののたよりにとぶらひてはべりしかば、かの尼上、いたう弱りたまひにたれば、何事もおぼえず、となむ申してはべりし
先日ついでの時に訪問したところ、その尼君は大変衰弱されてしまい、ものも考えられなくなったというように申しておりました。」
と聞こゆれば、
と申し上げると、
あはれのことや、訪ふべかりけるを、などかさなむとものせざりし、入りて消息せよ
「それは気の毒なことじゃないか、お見舞いに伺うべきだったのにどうしてそれと伝えなかったのか、中に入って取り次ぎをしなさい」
とのたまへば、人入れて案内せさす
とおっしゃれば、家来のものを屋敷の中に入れて取り次ぎをさせる。
わざとかう立ち寄りたまへること、と言はせたれば、入りて、
たまたま立ち寄ったとは伝えないように、と申し伝えると、家来の者は入っていき、
かく御とぶらひになむおはしましたる
「このようにお見舞いにおいででございます」
と言ふにおどろきて、
というので、驚いて、
いとかたはらいたきことかな、この日ごろ、無下にいと頼もしげなくならせたまひにたれば、御対面などもあるまじ
「まあ、どういたしましょう、ここ数日ですっかり力を落としてしまわれているので、ご面会などもままならないでしょう」
と言へども、帰したてまつらむはかしこしとて、
とは言っても、お帰しすることも畏れ多く、
南の廂、ひきつくろひて入れたてまつる
南の廂の間を急遽ひきつくろいお通ししたのだった。
いとむつかしげにはべれど、かしこまりをだにとて
「このような難しいところまでおいでいただきまして、ご挨拶だけでも」
ゆくりなう、もの深き、御座所(おましどころ)になむ
「にわか仕立ての、埋もれたような場所でございまして」
と聞こゆ
と女房が出てきて挨拶をするのだった。
げにかかる所は例に違いて思さる
たしかに、ここは普通の屋敷とはずいぶん趣が異なって感じられる。
常に思ひたまへ立ちながら、かひなき様にのみもてなさせたまふに、つつまれはべりてなむ
「いつもお伺い致したいと思いながらも、甲斐のないお返事ばかりを頂いてたものですからご遠慮いたしておりました。」
なやませたまふこと、重くとも承はらざりけるおぼつかなさ
「ご病気が重いとも存じておりませんでしたので、」
乱り心地はいつともなくのみはべるが、限りの様になりはべりて、いとかたじけなく立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと
「体調がすぐれないのは今に始まったことではありませんが、もうこれまでとなりましたときに、畏れ多くもお立ち寄り頂きましたのに、直にお話しすることができないというのは・・・」
のたまはすることの筋、たまさかにも思しめしかはらぬやうはべらば、かくわりなき齢(よはい)過ぎはべりて、かならず数まへさせたまへ
「かねてより仰せいただいておりました件、万が一でもお心変わりがありませんようでしたら、このような子供子供した年頃を過ぎましたら、是非とも数の中に入れてくださいませ。」
いみじう心細げに見たまへおくなむ、願ひはべる道のほだしに思ひたまへられぬべき
「たった一人で心細げに遺して逝くことが、この世の未練となってしまうのかもしれません。」
など聞こえたまへり
などとおっしゃっている。
いと近ければ、心細げなる御声絶え絶え聞こえて、
大変近いところにいらっしゃるので、途切れ途切れにか細い声が聞こえてきて、
いとかたじけなきわざにもはべるかな、この君だに、かしこまりも聞こえたまひつべきほどならましかば
「わざわざおいで頂いて、大変恐縮でございます、せめてこの姫君が、お礼を申し上げることができるくらいの年齢でしたら、よかったのですけれども、」
とのたまふ
と尼君がおっしゃっている。
あはれに聞きたまひて、
心深くお聞きになられて、
何か、浅う思ひたまへむことゆゑ、かうすきずきしき様を見えたてまつらむ
「どうして、浅はかな気持ちから、このようなお願いができましょうか」
いかなる契りにか、見たてまつり初めしより、あはれに思ひきこゆるも、あやしきまでこの世の事にはおぼえはべらぬ
「どのような契りなのでしょうか。初めてお見うけしたときより心に強く印象づけられております。不思議に今世だけのこととは思えないのです。」
などのたまひて、
などとおっしゃって
かひなき心地のみしはべるを、かのいはけなうものしたまふ御一声、いかで
「せっかく参りましたので、あどけなくていらっしゃる姫君の一声をなんとか、」
とのたまへば、
とおっしゃるので、
いでや、よろづもの思し知らぬ様に、大殿籠(おおとのご)もり入りて、
「いやもう、何も知らずにおやすみになっておりまして」
など聞こゆるをりしも、あなたより来る音して、
などと女房が申し上げているその時に、あちらのほうから来る音がして、
上こそ、この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ、など見たまはぬ
「おばあさま、御山にいらっしゃった源氏の君がおいでになったんですって、どうしてお目にかからないの?」
とのたまふを、
とおっしゃるのを、
人々、いとかたはらいたしと思ひて、あなかま、と聞こゆ
女房たちは、やきもきとして、「お静かに」と申し上げる
いさ、見しかば、心地の悪しさ慰みき、とのたまひしかばぞかし、
「だって、お目にかかったからご病気が良くなった、とおっしゃったから・・・」
と、かしこきこと聞きえたりと思してのたまふ
と、ちゃんとものを知っているかのごとく言っているのであった
いとをかしと聞いたまへど、人々の苦しと思ひたれば、
大変粋な、と聞いていたけれども、周りの人々もきまりが悪いだろうと思ったので、
聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえおきたまひて、帰りたまひぬ
聞かないふりをして、丁寧なお見舞いの言葉をいい残されてその日はお帰りになられた。
げに、言ふかひなのけはひや、さりとも、いとよう教へてむ
「なるほど、まだ他愛のない感じだが、よく教えてみたい」
と思す
と思う。
その頃、山寺でお会いした尼君は、病が少し回復して山をお下りになられていた。
京の御住みか訪ねて、時々の御消息などあり
京都の住処を訪ねて、時々お手紙を差し上げる。
同じ様のみあるもことわりなるうちに、この月頃はありしにまさるもの思ひに、ことごとなくて過ぎゆく
以前と同じ内容のお返事しか頂けず仕方なく思うところに、この何ヶ月は以前にも増して藤壺の宮へのご執心が深く、他のことには気が廻らずに時が過ぎていく。
秋の末つ方、いともの心細くて嘆きたまふ
晩秋の折、源氏の君は、大変心細くてため息をつかれる。
月のをかしき夜、忍びたる所に、からうじて思ひ立ちたまへるを、時雨めいてうちそそく
月のきれいな夜に、ひそかな通い処にかろうじて行こうと思い立ったところに、時雨のような雨がパラパラと降りだしてきた。
おはする所は六条京極わたりにて、内裏よりなれば、少しほど遠き心地するに、
おいでになられた場所は六条京極のあたり、宮中より退出されてこられたので少し遠くまで来た心地がするところで、
荒れたる家の木立いともの経(ふ)りて、木暗く(こぐらく)見えたるあり
荒れた屋敷で、年代物の木立がうっそうとしていて、月の光さえも遮られてるように見える場所がある。
例の御供に離れぬ惟光なむ、
例のお供として、いつも側にお仕えする惟光が、
故あぜちの大納言の家にはべりて、
「亡くなりました、あぜちの大納言の家でございます。
もののたよりにとぶらひてはべりしかば、かの尼上、いたう弱りたまひにたれば、何事もおぼえず、となむ申してはべりし
先日ついでの時に訪問したところ、その尼君は大変衰弱されてしまい、ものも考えられなくなったというように申しておりました。」
と聞こゆれば、
と申し上げると、
あはれのことや、訪ふべかりけるを、などかさなむとものせざりし、入りて消息せよ
「それは気の毒なことじゃないか、お見舞いに伺うべきだったのにどうしてそれと伝えなかったのか、中に入って取り次ぎをしなさい」
とのたまへば、人入れて案内せさす
とおっしゃれば、家来のものを屋敷の中に入れて取り次ぎをさせる。
わざとかう立ち寄りたまへること、と言はせたれば、入りて、
たまたま立ち寄ったとは伝えないように、と申し伝えると、家来の者は入っていき、
かく御とぶらひになむおはしましたる
「このようにお見舞いにおいででございます」
と言ふにおどろきて、
というので、驚いて、
いとかたはらいたきことかな、この日ごろ、無下にいと頼もしげなくならせたまひにたれば、御対面などもあるまじ
「まあ、どういたしましょう、ここ数日ですっかり力を落としてしまわれているので、ご面会などもままならないでしょう」
と言へども、帰したてまつらむはかしこしとて、
とは言っても、お帰しすることも畏れ多く、
南の廂、ひきつくろひて入れたてまつる
南の廂の間を急遽ひきつくろいお通ししたのだった。
いとむつかしげにはべれど、かしこまりをだにとて
「このような難しいところまでおいでいただきまして、ご挨拶だけでも」
ゆくりなう、もの深き、御座所(おましどころ)になむ
「にわか仕立ての、埋もれたような場所でございまして」
と聞こゆ
と女房が出てきて挨拶をするのだった。
げにかかる所は例に違いて思さる
たしかに、ここは普通の屋敷とはずいぶん趣が異なって感じられる。
常に思ひたまへ立ちながら、かひなき様にのみもてなさせたまふに、つつまれはべりてなむ
「いつもお伺い致したいと思いながらも、甲斐のないお返事ばかりを頂いてたものですからご遠慮いたしておりました。」
なやませたまふこと、重くとも承はらざりけるおぼつかなさ
「ご病気が重いとも存じておりませんでしたので、」
乱り心地はいつともなくのみはべるが、限りの様になりはべりて、いとかたじけなく立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと
「体調がすぐれないのは今に始まったことではありませんが、もうこれまでとなりましたときに、畏れ多くもお立ち寄り頂きましたのに、直にお話しすることができないというのは・・・」
のたまはすることの筋、たまさかにも思しめしかはらぬやうはべらば、かくわりなき齢(よはい)過ぎはべりて、かならず数まへさせたまへ
「かねてより仰せいただいておりました件、万が一でもお心変わりがありませんようでしたら、このような子供子供した年頃を過ぎましたら、是非とも数の中に入れてくださいませ。」
いみじう心細げに見たまへおくなむ、願ひはべる道のほだしに思ひたまへられぬべき
「たった一人で心細げに遺して逝くことが、この世の未練となってしまうのかもしれません。」
など聞こえたまへり
などとおっしゃっている。
いと近ければ、心細げなる御声絶え絶え聞こえて、
大変近いところにいらっしゃるので、途切れ途切れにか細い声が聞こえてきて、
いとかたじけなきわざにもはべるかな、この君だに、かしこまりも聞こえたまひつべきほどならましかば
「わざわざおいで頂いて、大変恐縮でございます、せめてこの姫君が、お礼を申し上げることができるくらいの年齢でしたら、よかったのですけれども、」
とのたまふ
と尼君がおっしゃっている。
あはれに聞きたまひて、
心深くお聞きになられて、
何か、浅う思ひたまへむことゆゑ、かうすきずきしき様を見えたてまつらむ
「どうして、浅はかな気持ちから、このようなお願いができましょうか」
いかなる契りにか、見たてまつり初めしより、あはれに思ひきこゆるも、あやしきまでこの世の事にはおぼえはべらぬ
「どのような契りなのでしょうか。初めてお見うけしたときより心に強く印象づけられております。不思議に今世だけのこととは思えないのです。」
などのたまひて、
などとおっしゃって
かひなき心地のみしはべるを、かのいはけなうものしたまふ御一声、いかで
「せっかく参りましたので、あどけなくていらっしゃる姫君の一声をなんとか、」
とのたまへば、
とおっしゃるので、
いでや、よろづもの思し知らぬ様に、大殿籠(おおとのご)もり入りて、
「いやもう、何も知らずにおやすみになっておりまして」
など聞こゆるをりしも、あなたより来る音して、
などと女房が申し上げているその時に、あちらのほうから来る音がして、
上こそ、この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ、など見たまはぬ
「おばあさま、御山にいらっしゃった源氏の君がおいでになったんですって、どうしてお目にかからないの?」
とのたまふを、
とおっしゃるのを、
人々、いとかたはらいたしと思ひて、あなかま、と聞こゆ
女房たちは、やきもきとして、「お静かに」と申し上げる
いさ、見しかば、心地の悪しさ慰みき、とのたまひしかばぞかし、
「だって、お目にかかったからご病気が良くなった、とおっしゃったから・・・」
と、かしこきこと聞きえたりと思してのたまふ
と、ちゃんとものを知っているかのごとく言っているのであった
いとをかしと聞いたまへど、人々の苦しと思ひたれば、
大変粋な、と聞いていたけれども、周りの人々もきまりが悪いだろうと思ったので、
聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえおきたまひて、帰りたまひぬ
聞かないふりをして、丁寧なお見舞いの言葉をいい残されてその日はお帰りになられた。
げに、言ふかひなのけはひや、さりとも、いとよう教へてむ
「なるほど、まだ他愛のない感じだが、よく教えてみたい」
と思す
と思う。
2011年9月1日木曜日
秋の夕べはまして
秋の夕べはまして、心の暇なく思し乱るる人の御あたりに心をかけて、あながちなる、ゆかりも尋ねまほしき心もまさりたまふなるべし
秋の夕べは一層と、いつも暇なく思い続けている御方に心が奪われて、無理やりにでも、藤壺と深いゆかりのある少女を尋ねたいとの思いが募っていく。
消えむ空なき、とありし夕べ、思し出でられて、
消えようにも消えられない、と尼君がお詠みになられていた山寺での夕べの情景が思い浮かび、
恋しくも、また、見ば劣りやせむ、とさすがにあやふし
恋しくもあり、また、実際に手にいれてみたら見劣りはしないかと、さすがに心配でもある。
手に摘みて、いつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草
手につんで、いつの日かは必ず見てみよう、紫色の藤の花と根がつながっている野辺の若草
神無月に朱雀院の行幸あるべし
十月に、朱雀にある上皇御所へ、帝が外出になるご予定がある。
舞人(まひびと)など、やむごとなき家の子ども、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)どもなども、
舞楽の舞い手などには、高貴な出のご子息たちなどが選ばれるのだが、上達部や殿上人などでも、
その方につきづきしきは、みな選らせたまへれば、皇子たち、大臣よりはじめて、とりどりの才ども習ひたまふ
その方面に才のあるものは皆選ばれたので、皇子、大臣よりはじめて様々な舞芸を練習されている。
いとまなし
暇のない頃である。
山里人にも、久しく訪れたまはざりけるを思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、
尼君には、山里へ帰られてから久しくお便りをせずにいたことを思い出し、遠路はるばると使者を遣わしたところ、
僧都の返り言のみあり
僧都から辺事があった。
経ちぬる月の二十日(はつか)のほどになむ、つひにむなしく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる
先月、二十日の頃についに亡き人となりまして、世の中の道理とはいえ悲しくて仕方ありません。
などあるを見たまふに、世の中のはかなさもあはれに、
などと書かれてあるのを見て、人の世のはかなさを感じ、
うしろめたげに思へりし人もいかならむ、幼きほどに恋ひやすらむ
「遺されたあの方はどうしているだろうか、幼いゆえに恋しがっているのではないだろうか、」
故御息所に後れたてまつりし、などはかばかしからねど、思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり
母の御息所が亡くなった時、ぼんやりとだけ覚えていることなどを思い出して、京の屋敷へ丁寧なとぶらいの使者を遣わした。
少納言、ゆゑなからず、御返りなど聞こえたり
少納言の乳母が、なかなかに品のあるお返事を寄越してきた。
秋の夕べは一層と、いつも暇なく思い続けている御方に心が奪われて、無理やりにでも、藤壺と深いゆかりのある少女を尋ねたいとの思いが募っていく。
消えむ空なき、とありし夕べ、思し出でられて、
消えようにも消えられない、と尼君がお詠みになられていた山寺での夕べの情景が思い浮かび、
恋しくも、また、見ば劣りやせむ、とさすがにあやふし
恋しくもあり、また、実際に手にいれてみたら見劣りはしないかと、さすがに心配でもある。
手に摘みて、いつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草
手につんで、いつの日かは必ず見てみよう、紫色の藤の花と根がつながっている野辺の若草
神無月に朱雀院の行幸あるべし
十月に、朱雀にある上皇御所へ、帝が外出になるご予定がある。
舞人(まひびと)など、やむごとなき家の子ども、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)どもなども、
舞楽の舞い手などには、高貴な出のご子息たちなどが選ばれるのだが、上達部や殿上人などでも、
その方につきづきしきは、みな選らせたまへれば、皇子たち、大臣よりはじめて、とりどりの才ども習ひたまふ
その方面に才のあるものは皆選ばれたので、皇子、大臣よりはじめて様々な舞芸を練習されている。
いとまなし
暇のない頃である。
山里人にも、久しく訪れたまはざりけるを思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、
尼君には、山里へ帰られてから久しくお便りをせずにいたことを思い出し、遠路はるばると使者を遣わしたところ、
僧都の返り言のみあり
僧都から辺事があった。
経ちぬる月の二十日(はつか)のほどになむ、つひにむなしく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる
先月、二十日の頃についに亡き人となりまして、世の中の道理とはいえ悲しくて仕方ありません。
などあるを見たまふに、世の中のはかなさもあはれに、
などと書かれてあるのを見て、人の世のはかなさを感じ、
うしろめたげに思へりし人もいかならむ、幼きほどに恋ひやすらむ
「遺されたあの方はどうしているだろうか、幼いゆえに恋しがっているのではないだろうか、」
故御息所に後れたてまつりし、などはかばかしからねど、思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり
母の御息所が亡くなった時、ぼんやりとだけ覚えていることなどを思い出して、京の屋敷へ丁寧なとぶらいの使者を遣わした。
少納言、ゆゑなからず、御返りなど聞こえたり
少納言の乳母が、なかなかに品のあるお返事を寄越してきた。
2011年8月31日水曜日
中空なる御ほどにて
忌みなど過ぎて、京の殿になど聞きたまへば、ほど経て、みづから、のどかなる夜おはしたり
1ヶ月とされているもの忌みの期限も過ぎ、今は京の屋敷に戻ってっいらしゃると聞き、それから少し経った頃にご自身でお暇をみつけて夜にお出掛けになった。
いとすごげに荒れたるところの人少ななるに、いかに幼き人おそろしからむと見ゆ
すごく荒れているところで、人の気配も少ない中にどんなにかおそろしく暮らしているだろうかと感じられる。
例の所に入れたてまつりて、少納言、御有様などうち泣きつつ聞こえ続くるに、あいなう御袖もただならず
前回と同じく南の廂の間にお通しして、少納言がご臨終の様子などを涙をたたえながらお伝えするので、源氏もついもらい泣きをしてしまわれる。
宮にわたしたてまつらむとはべるめるを、故姫君の、いと情けなく憂きものに思ひきこえたまへりしに、
「兵部卿の宮様のところへお預けすることとなっていますが、亡くなった姫君があちら様をたいへん薄情で憂鬱の種に思っていらしたということもあり、
いとむげに稚児ならぬ齢の、またはかばかしう人のおもむけをも見しりたまはず、
まったく無邪気な幼児という年ではなく、かといってしっかりと人の意向をお分かりになる程でもなく、
中空なる御ほどにて、
中途半端なお年頃で、
あまたものしたまふなる中の、あなづらはしき人にてや交わりたまはむなど、
沢山いらっしゃる宮様のお子様のなかに、軽くみくびられた様に扱われはしないかなど、
過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつること、
尼君も、いつも思い嘆いておりましたが、
しるきこと多くはべるに、
実際にそのように思えることも多くありましたので、
かくかたじけなきなげの御言の葉は、後の御心もたどりきこえさせず、いとうれしう思ひたまへられぬべきをりふしにはべりながら、
かりそめにもいただけるかたじけないお言葉は、後々のことはわからないこととしても、大変嬉しく思っている折ではございますが、
すこしもなぞらひなる様にもものしたまはず、御年よりも若びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる、と聞こゆ
姫さまが、少しもお似合いのようではいらっしゃらずに、お年の程よりまだ子ども子どもしていらっしゃいますので、なんとも恥ずかしい次第でございます」と申し上げる。
何か、かうくり返し聞こえ知らする心のほどを、つつみたまふらむ
「どうして、このように何回も申し上げております私の心の程をご遠慮なされるのでしょうか、
その言ふかひなき御心の有様の、あはれにゆかしうおぼえたまふも、
そのあどけない、そのままのお心が、大変心に染みてゆかしく思われてしまうのも、
契りことになむ、心ながら思ひ知られける
前世よりの浅からぬご縁なのだろうと、心のままに思い知ったのでございます。」
なほ人づてならで、聞こえ知らせばや
「他を介せずに、直接姫にお伝えしたい気持ちもございます。」
あしわかの浦にみるめはかたくとも こは立ちながらかへる波かは
和歌の浦(歌枕)で、会うことは難しくても、立ち返る波はもう戻ることができない。
葦が若く生い茂っているわかの浦の海松布(海草)を採るのが難しくても、せっかく思い立ったのだから、思いをひる返すことはできないよ。
めざましからむ
驚いたことだね、
とのたまへば、
と仰せになれば、
げにこそいとかしこけれ、とて
まことに畏れ多いことで、と言って
寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむほどぞ浮きたる
寄る波の心も知らないのに、若い姫君がお誘いに靡くとしたら、それはただ軽卒なことでしょう。
わりなきこと
無理というもの。
と聞こゆる様の馴れたるに、少し罪許されたまふ
とすらすらとお詠みになるのが慣れた様子なので、源氏は少し心がお和みになられる。
なぞ越えざらむ
どうして越えられない、
と、うちずじたまへるを、身に染みて若き人々思へり
と、口ずさまれるのを聞くと、若い女房たちは身に染みて感慨深い。
君は上を恋ひきこえたまひて泣き臥したまへるに、御遊びがたきどもの、
姫君は尼上を恋しがって泣きながら臥していらしたところに、遊び仲間のわらわべが来て、
直衣着たる人のおはする、宮のおはしますなめり
「直衣を着ている方がいらっしゃるよ、宮がおいでになったのかな、」
と聞こゆれば、起き出でたまひて、
と教えると、起き出していらっしゃって、
少納言よ、直衣着たりつらむは、いづら、宮のおはするか
「少納言よ、直衣を着ている方ってどこにいらっしゃるの? 宮がおいでになったの?」
とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし
と、近くに寄ってこられるお声がたいへん可愛らしい。
宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず、こち
「宮ではありませんが、またお嫌いになる必要もありませんよ、こちらへ、」
とのたまふを、恥づかしかりし人と、さすがに聞きなして、
という声で、あっ源氏の君、とさすがにお判りになって、
あしう言ひてけり、と思して、
まちがえたのだ、と思い、
乳母にさし寄りて、
乳母のところへ行き、
いざかし、ねぶたきに
「さあ行こうよ、眠たいから、」
とのたまへば
と言えば
いまさらに、など忍びたまふらむ、この膝の上に大殿籠れよ、今少し寄りたまへ
「今更に、どうしてお隠れになるのですか?わたしの膝の上でお休みになりなさいよ、さあこちらへ、」
とのたまへば、乳母の
と仰せになれば、少納言の乳母は、
さればこそ、かう世づかぬ御ほどにてなむ
「申し上げた通りに、このように人見知りをする程でございまして、」
とて、押し寄せたてまつりたれば、何心もなくゐたまへるに、
と、姫君を押してさしあげると、何心もなくちょこんとお座りになっているので、
手を差し入れて探りたまへれば、
几帳の下から手を差し入れてみると、
なよよかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる、
柔らかに着なしたお着物に髪がつやつやとかかって、髪の端を手にとると、ふさふさとしている感触が探りつけられる、
いとうつくしう思ひやらる
さぞかし可愛らしい姫君だろう
手をとらへたまへれば、うたて、例ならぬ人の、かく近でうきたまへるは、恐ろしうて、
手をおとりになると姫君は嫌がって、知らない人がこのように近づいてくるのは恐ろしく、
寝なむといふものを
「寝るって言っているのに、」
とて強ひてひき入りたまふにつきて、すべり入りて、
と、ぐいっと手をお引きになったのに引かれるようにして、すべり向こう側に抜けると、
今は、まろぞ思ふべき人、なうとみたまひそ
「これからは、わたくしがあなたを大切に思っていくのですから、お嫌いにならないで下さいね。」
とのたまふ
と仰せになる。
乳母
少納言の乳母
いで、あなうたてや、ゆゆしうもはべるかな、聞こえ知らせたまふとも、さらに何のしるしもはべらじものを
「まあなんていうこと、ゆゆしきことでもござますわ、言い聞かせたところで何のあかしもありはしないのに、」
とて、苦しげに思ひたれば、
と苦しそうに思っているところへ、
さりとも、かかる御ほどをいかがはあらむ
「いくらなんでも、こんなに可愛らしい姫君をどうこうしようということはありません。
なほ、ただ世に知らぬこころざしのほどを見果てたまへ
ただ、並々ではないわたしの心の程を最後まで見てください。」
霰降りあれて、すごき夜の様なり
霰が散り、荒れた空模様のぞっとする夜の様相である。
いかで、かう人少なに、心細うて過ぐしたまふらむ
「どうやって、この少ない人数で心細い夜を過ごされるのでしょうか、」
とうち泣いたまひて、いと見捨てがたきほどなれば、
と涙ぐんで、放っておけない気持ちでいらっしゃるようで、
御格子参りね、もの恐ろしき夜の様なめるを、宿直人(とのゐびと)にてはべらむ
「格子を降ろしなさい、もの恐ろしい夜になりそうなので、宿直のお役をしていきましょう」
人々近うさぶらはれよかし
「皆、近くにおいで下さい」
とて、いと馴れ顔に御帳(みちょう)の内に入りたまへれば
と、たいへん慣れたご様子で、ご寝室にお入りになったので、
あやしう思ひのほかにもと呆れて、誰も誰もゐたり
あっけにとられて、あまりの思いのほかのことと唖然として、誰もがそこに居あわせるのだった。
乳母は、うしろめたう、わりなし、と思へど、荒らましう聞こえ騒ぐべきならねば、うち嘆きつつゐたり
少納言の乳母は、「大丈夫かしら?どうしよう・・・」と思っても、ことを荒立てて言い騒ぐべきことではないので、ただ嘆いてのみおいでになる。
若君は、いと恐ろしう、いかならむ、とわななかれて、
若い姫君は、とても恐ろしく、どうなるんだろうと小刻みに震えていらっしゃる。
いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたくおぼえて、
若々しいお肌が、緊張のあまり少し冷たくなってしまっているのを、いとおしくお思いになって、
単衣(ひとへ)ばかりを押しくくみて、
薄い単衣を押し込むようにして、羽織らせてあげて、
わが御心地も、かつは、うたておぼえたまへど、
ご自身のご気分としても、頭の一方では、異様な振る舞いのようにも思われるのだけれども、
あはれにうち語らひたまひて、いざ、たまへよ、をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に
ただただお優しくお声を掛けられて、「是非においでくださいませよ、綺麗な絵とか、雛遊びなどできるのですよ。」
と心につくべきことをのたまふ気配のいとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖ぢず、
と、姫のご機嫌を伺っているご様子はたいへん安心できる感じなので、幼心にもそれほど怖がらずに、
さすがにむつかしう、寝も入られずおはして、身じろき臥したまへり
それでも気分がいいわけではなく、眠気も催さないので、そのまま横になって起きていらっしゃる。
夜一夜(よひとよ)風吹き荒るるに、げにかうおはせざらましかば、いかに心細からまし
一晩中、風邪が吹き荒れているので、「まことにこのようにいらして下さらなければどんなに心細かったことかしら、
同じくはよろしき程におはしまさましかば、
同じことならば、姫君がお年頃でいらっしゃったならば・・・・」
とささめきあへり
と、女房たちはささめき合っている。
乳母はうしろめたさに、いと近うさぶらふ
少納言の乳母は、心配のあまり御帳にへばりついている。
風邪少し吹きやみたるに、夜深う出でたまふも、事あり顔なりや
風邪が少しやんだので、夜明け前に退出されるというのも、あたかも事が終わったかの風である。
いとあはれに見たてまつる御有様を、今はまして片時の間もおぼつかなかるべし
「たいへん可愛らしいご様子をお見受けしてしまった今となっては、片時の間も忘れられないことでしょう。
明け暮れながめはべる所に渡したてまつらむ、かくてのみは、
明け暮れ所在無くしておりますわたしくのところへ是非おいでください。このままでは・・・・」
いかがもの怖じしたまはざりけり
どうして怖くなかったのですか?」
とのたまへば、
と仰せになれば、
宮も御迎へになど聞こえのたまふめれど、この御四十九日過ぐしてや、など思うたまふる
「宮様も、姫君をお迎えにいらっしゃるということですが、四十九日が過ぎてからになるかと思っております。」
と聞こゆれば、
と申し上げると、
頼もしき筋ながらも、よそよそにてならひたまへるは、同じうこそ、疎うおぼえたまはめ、
「ご親族ではあるけれども、ずっと別々にお暮らしになられたのであれば、わたくしと同様に、よそよそしくお感じになることでしょう、
今より見たてまつれど、浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ、とて、かい撫でつつ、かへりみがちにて出でたまひぬ
「今初めてお会いしましたが、わたしの思いの深さはお父様以上のはずです」と、髪をかき撫でつつ、何度も振り返りながら、ご退出なされた。
をかしかりつる人のなごり恋しく、ひとり笑みしつつ臥したまへり
可愛らしい姫君の名残りを思いながら、ひとりでに笑みがこぼれつつお休みになられていた。
日高う大殿籠り起きて、
日が高くなってから目覚め起きて、
ふみやりたまふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつすさびゐたまへり
お手紙をお遣わしになるのに、書く言葉もいつもとは違うので、筆を中断しつつあれこれお考えになられる。
をかしき絵などをやりたまふ
きれいな絵などを一緒に送られた。
1ヶ月とされているもの忌みの期限も過ぎ、今は京の屋敷に戻ってっいらしゃると聞き、それから少し経った頃にご自身でお暇をみつけて夜にお出掛けになった。
いとすごげに荒れたるところの人少ななるに、いかに幼き人おそろしからむと見ゆ
すごく荒れているところで、人の気配も少ない中にどんなにかおそろしく暮らしているだろうかと感じられる。
例の所に入れたてまつりて、少納言、御有様などうち泣きつつ聞こえ続くるに、あいなう御袖もただならず
前回と同じく南の廂の間にお通しして、少納言がご臨終の様子などを涙をたたえながらお伝えするので、源氏もついもらい泣きをしてしまわれる。
宮にわたしたてまつらむとはべるめるを、故姫君の、いと情けなく憂きものに思ひきこえたまへりしに、
「兵部卿の宮様のところへお預けすることとなっていますが、亡くなった姫君があちら様をたいへん薄情で憂鬱の種に思っていらしたということもあり、
いとむげに稚児ならぬ齢の、またはかばかしう人のおもむけをも見しりたまはず、
まったく無邪気な幼児という年ではなく、かといってしっかりと人の意向をお分かりになる程でもなく、
中空なる御ほどにて、
中途半端なお年頃で、
あまたものしたまふなる中の、あなづらはしき人にてや交わりたまはむなど、
沢山いらっしゃる宮様のお子様のなかに、軽くみくびられた様に扱われはしないかなど、
過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつること、
尼君も、いつも思い嘆いておりましたが、
しるきこと多くはべるに、
実際にそのように思えることも多くありましたので、
かくかたじけなきなげの御言の葉は、後の御心もたどりきこえさせず、いとうれしう思ひたまへられぬべきをりふしにはべりながら、
かりそめにもいただけるかたじけないお言葉は、後々のことはわからないこととしても、大変嬉しく思っている折ではございますが、
すこしもなぞらひなる様にもものしたまはず、御年よりも若びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる、と聞こゆ
姫さまが、少しもお似合いのようではいらっしゃらずに、お年の程よりまだ子ども子どもしていらっしゃいますので、なんとも恥ずかしい次第でございます」と申し上げる。
何か、かうくり返し聞こえ知らする心のほどを、つつみたまふらむ
「どうして、このように何回も申し上げております私の心の程をご遠慮なされるのでしょうか、
その言ふかひなき御心の有様の、あはれにゆかしうおぼえたまふも、
そのあどけない、そのままのお心が、大変心に染みてゆかしく思われてしまうのも、
契りことになむ、心ながら思ひ知られける
前世よりの浅からぬご縁なのだろうと、心のままに思い知ったのでございます。」
なほ人づてならで、聞こえ知らせばや
「他を介せずに、直接姫にお伝えしたい気持ちもございます。」
あしわかの浦にみるめはかたくとも こは立ちながらかへる波かは
和歌の浦(歌枕)で、会うことは難しくても、立ち返る波はもう戻ることができない。
葦が若く生い茂っているわかの浦の海松布(海草)を採るのが難しくても、せっかく思い立ったのだから、思いをひる返すことはできないよ。
めざましからむ
驚いたことだね、
とのたまへば、
と仰せになれば、
げにこそいとかしこけれ、とて
まことに畏れ多いことで、と言って
寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむほどぞ浮きたる
寄る波の心も知らないのに、若い姫君がお誘いに靡くとしたら、それはただ軽卒なことでしょう。
わりなきこと
無理というもの。
と聞こゆる様の馴れたるに、少し罪許されたまふ
とすらすらとお詠みになるのが慣れた様子なので、源氏は少し心がお和みになられる。
なぞ越えざらむ
どうして越えられない、
と、うちずじたまへるを、身に染みて若き人々思へり
と、口ずさまれるのを聞くと、若い女房たちは身に染みて感慨深い。
君は上を恋ひきこえたまひて泣き臥したまへるに、御遊びがたきどもの、
姫君は尼上を恋しがって泣きながら臥していらしたところに、遊び仲間のわらわべが来て、
直衣着たる人のおはする、宮のおはしますなめり
「直衣を着ている方がいらっしゃるよ、宮がおいでになったのかな、」
と聞こゆれば、起き出でたまひて、
と教えると、起き出していらっしゃって、
少納言よ、直衣着たりつらむは、いづら、宮のおはするか
「少納言よ、直衣を着ている方ってどこにいらっしゃるの? 宮がおいでになったの?」
とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし
と、近くに寄ってこられるお声がたいへん可愛らしい。
宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず、こち
「宮ではありませんが、またお嫌いになる必要もありませんよ、こちらへ、」
とのたまふを、恥づかしかりし人と、さすがに聞きなして、
という声で、あっ源氏の君、とさすがにお判りになって、
あしう言ひてけり、と思して、
まちがえたのだ、と思い、
乳母にさし寄りて、
乳母のところへ行き、
いざかし、ねぶたきに
「さあ行こうよ、眠たいから、」
とのたまへば
と言えば
いまさらに、など忍びたまふらむ、この膝の上に大殿籠れよ、今少し寄りたまへ
「今更に、どうしてお隠れになるのですか?わたしの膝の上でお休みになりなさいよ、さあこちらへ、」
とのたまへば、乳母の
と仰せになれば、少納言の乳母は、
さればこそ、かう世づかぬ御ほどにてなむ
「申し上げた通りに、このように人見知りをする程でございまして、」
とて、押し寄せたてまつりたれば、何心もなくゐたまへるに、
と、姫君を押してさしあげると、何心もなくちょこんとお座りになっているので、
手を差し入れて探りたまへれば、
几帳の下から手を差し入れてみると、
なよよかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる、
柔らかに着なしたお着物に髪がつやつやとかかって、髪の端を手にとると、ふさふさとしている感触が探りつけられる、
いとうつくしう思ひやらる
さぞかし可愛らしい姫君だろう
手をとらへたまへれば、うたて、例ならぬ人の、かく近でうきたまへるは、恐ろしうて、
手をおとりになると姫君は嫌がって、知らない人がこのように近づいてくるのは恐ろしく、
寝なむといふものを
「寝るって言っているのに、」
とて強ひてひき入りたまふにつきて、すべり入りて、
と、ぐいっと手をお引きになったのに引かれるようにして、すべり向こう側に抜けると、
今は、まろぞ思ふべき人、なうとみたまひそ
「これからは、わたくしがあなたを大切に思っていくのですから、お嫌いにならないで下さいね。」
とのたまふ
と仰せになる。
乳母
少納言の乳母
いで、あなうたてや、ゆゆしうもはべるかな、聞こえ知らせたまふとも、さらに何のしるしもはべらじものを
「まあなんていうこと、ゆゆしきことでもござますわ、言い聞かせたところで何のあかしもありはしないのに、」
とて、苦しげに思ひたれば、
と苦しそうに思っているところへ、
さりとも、かかる御ほどをいかがはあらむ
「いくらなんでも、こんなに可愛らしい姫君をどうこうしようということはありません。
なほ、ただ世に知らぬこころざしのほどを見果てたまへ
ただ、並々ではないわたしの心の程を最後まで見てください。」
霰降りあれて、すごき夜の様なり
霰が散り、荒れた空模様のぞっとする夜の様相である。
いかで、かう人少なに、心細うて過ぐしたまふらむ
「どうやって、この少ない人数で心細い夜を過ごされるのでしょうか、」
とうち泣いたまひて、いと見捨てがたきほどなれば、
と涙ぐんで、放っておけない気持ちでいらっしゃるようで、
御格子参りね、もの恐ろしき夜の様なめるを、宿直人(とのゐびと)にてはべらむ
「格子を降ろしなさい、もの恐ろしい夜になりそうなので、宿直のお役をしていきましょう」
人々近うさぶらはれよかし
「皆、近くにおいで下さい」
とて、いと馴れ顔に御帳(みちょう)の内に入りたまへれば
と、たいへん慣れたご様子で、ご寝室にお入りになったので、
あやしう思ひのほかにもと呆れて、誰も誰もゐたり
あっけにとられて、あまりの思いのほかのことと唖然として、誰もがそこに居あわせるのだった。
乳母は、うしろめたう、わりなし、と思へど、荒らましう聞こえ騒ぐべきならねば、うち嘆きつつゐたり
少納言の乳母は、「大丈夫かしら?どうしよう・・・」と思っても、ことを荒立てて言い騒ぐべきことではないので、ただ嘆いてのみおいでになる。
若君は、いと恐ろしう、いかならむ、とわななかれて、
若い姫君は、とても恐ろしく、どうなるんだろうと小刻みに震えていらっしゃる。
いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたくおぼえて、
若々しいお肌が、緊張のあまり少し冷たくなってしまっているのを、いとおしくお思いになって、
単衣(ひとへ)ばかりを押しくくみて、
薄い単衣を押し込むようにして、羽織らせてあげて、
わが御心地も、かつは、うたておぼえたまへど、
ご自身のご気分としても、頭の一方では、異様な振る舞いのようにも思われるのだけれども、
あはれにうち語らひたまひて、いざ、たまへよ、をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に
ただただお優しくお声を掛けられて、「是非においでくださいませよ、綺麗な絵とか、雛遊びなどできるのですよ。」
と心につくべきことをのたまふ気配のいとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖ぢず、
と、姫のご機嫌を伺っているご様子はたいへん安心できる感じなので、幼心にもそれほど怖がらずに、
さすがにむつかしう、寝も入られずおはして、身じろき臥したまへり
それでも気分がいいわけではなく、眠気も催さないので、そのまま横になって起きていらっしゃる。
夜一夜(よひとよ)風吹き荒るるに、げにかうおはせざらましかば、いかに心細からまし
一晩中、風邪が吹き荒れているので、「まことにこのようにいらして下さらなければどんなに心細かったことかしら、
同じくはよろしき程におはしまさましかば、
同じことならば、姫君がお年頃でいらっしゃったならば・・・・」
とささめきあへり
と、女房たちはささめき合っている。
乳母はうしろめたさに、いと近うさぶらふ
少納言の乳母は、心配のあまり御帳にへばりついている。
風邪少し吹きやみたるに、夜深う出でたまふも、事あり顔なりや
風邪が少しやんだので、夜明け前に退出されるというのも、あたかも事が終わったかの風である。
いとあはれに見たてまつる御有様を、今はまして片時の間もおぼつかなかるべし
「たいへん可愛らしいご様子をお見受けしてしまった今となっては、片時の間も忘れられないことでしょう。
明け暮れながめはべる所に渡したてまつらむ、かくてのみは、
明け暮れ所在無くしておりますわたしくのところへ是非おいでください。このままでは・・・・」
いかがもの怖じしたまはざりけり
どうして怖くなかったのですか?」
とのたまへば、
と仰せになれば、
宮も御迎へになど聞こえのたまふめれど、この御四十九日過ぐしてや、など思うたまふる
「宮様も、姫君をお迎えにいらっしゃるということですが、四十九日が過ぎてからになるかと思っております。」
と聞こゆれば、
と申し上げると、
頼もしき筋ながらも、よそよそにてならひたまへるは、同じうこそ、疎うおぼえたまはめ、
「ご親族ではあるけれども、ずっと別々にお暮らしになられたのであれば、わたくしと同様に、よそよそしくお感じになることでしょう、
今より見たてまつれど、浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ、とて、かい撫でつつ、かへりみがちにて出でたまひぬ
「今初めてお会いしましたが、わたしの思いの深さはお父様以上のはずです」と、髪をかき撫でつつ、何度も振り返りながら、ご退出なされた。
をかしかりつる人のなごり恋しく、ひとり笑みしつつ臥したまへり
可愛らしい姫君の名残りを思いながら、ひとりでに笑みがこぼれつつお休みになられていた。
日高う大殿籠り起きて、
日が高くなってから目覚め起きて、
ふみやりたまふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつすさびゐたまへり
お手紙をお遣わしになるのに、書く言葉もいつもとは違うので、筆を中断しつつあれこれお考えになられる。
をかしき絵などをやりたまふ
きれいな絵などを一緒に送られた。
2011年8月30日火曜日
かしこには、今日しも宮渡りたまへり
かしこには、今日しも宮渡りたまへり
大納言邸では、源氏がお帰りになったまさにその日に宮様がおいでになられる。
年頃よりもこよなう荒れまさり、広うものふりたる所の、いとど人少なにさびしければ、見わたしたまひて、
以前よりも更に荒れ放題となって、広い敷地に古びた屋敷で、住む人も少なくさみしいばかりなのを見渡して、
かかる所には、いかでかしばしも、幼き人のすぐしたまはむ
「こんなところでは、幼い子どもが住んでいるのは少しの間でもたいへんでしょう、
なほ、かしこに渡したてまつりてむ
やはり、お屋敷にお移りくださいませ
何のところせきほどにもあらず、乳母は曹司などしてさぶらひなむ
何も窮屈なところではありませんよ、乳母はひとつ部屋がありますから、そこでお仕えしてください。
君は若き人々あれば、もろともに遊びて、いとようものしたまひなむ
若君には、同じくらいの年の子がいますから、一緒に遊んで、楽しく過ごせるはずですよ」
などのたまふ
などと、おっしゃる。
近う呼び寄せたてまつりたまへるに、かの御移り香の、いみじう艶に染みかへらせたまへれば、
近くお呼び寄せになると、源氏のお召し物に焚き染められた御香が移り香となって、たいそう優雅に匂い漂うので、
をかしの御匂ひや、御衣(おんぞ)はいと萎えて
「すばらしい香りですね、お着物は萎えていらっしゃるけれども・・・」
と心苦しげに思いたり
と心苦しげにお感じになっていらっしゃる。
年頃も、あつしくさだすぎたまへる人に添ひたまへるよ
「何年もの間、ご病気で、若くもない尼上と、ご一緒にいらっしゃいましたね。
かしこに渡りて見ならしたまへなどものせしを、
あちらにお渡り頂いて、早く馴染んでくださいませとも申し上げておりましたが、
あやしう疎みたまひて、人も心置くめりしを、
なぜだかお疎みになられていらしたので、あちらのお方も気兼ねをされているようでしたので・・・
かかるをりにしもものしたまはむも、心苦し
このような折に、お移り頂くというのも心苦しくはありますが、」
などのたまへば、
などとおっしゃるので、
何かは、心細くとも、しばしは、かくておはしましなむ
「なんでもございません、心細くあっても、しばらくはここでお過ごしになるでしょう。
すこしものの心思し知りなむに渡らせたまはむこそ、よくははべるべけれ
もう少しものがわかるようになってから、お移りになるのがいいでしょう」
と聞こゆ
と申し上げる
夜昼恋ひきこえたまふに、はかなきものも聞こしめさず
「夜昼となく尼上を恋しがっていらっしゃって、ちょっとしたものも召し上がらないのです」
とて、げにいといたう面痩せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか見えたまふ
と言って、たしかに、ふっくらしていたお顔が面痩せしていらっしゃるけれども、かえってそれが上品で可愛らしく見える。
何かさしも思す、今は世に亡き人の御事はかひなし、おのれあれば
「どうして、そんなにまでも思い詰めるのですか?今はもう亡き人のことを思っても仕方ありませんよ、わたしがいるでしょ」
など語らひきこえたまひて、暮るれば、帰らせたまふを、
などと語り聞かせて、日が暮れたので、もうお帰りになるのを、
いと心細しと思いて泣いたまへば、宮うち泣きたまひて、
たいへん心細くなり、お泣きになるので、宮様ももらい泣きされて
いとかう思ひな入りたまひそ
「こんなにまで、思い詰めないでください
今日明日渡したてまつらむ
今日か明日にでもお迎えにきましょう」
など、かへすがへすこしらへおきて、出でたまひぬ
などと、返すがえすなだめおいてお帰りになる
なごりも慰めがたう泣きゐたまへり
名残のさみしさも慰めがたく、ずっと泣いていらっしゃる。
行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、
これから自分がどうなることかなどは思いも及ばず、
ただ年頃たち離るるをりなうまつはしならひて、今は亡き人となりたまひにける、と思すがいみじきに、
ただ、この何年か、離れることなく、お側でまとわりつくようにして慣れていた尼上が、今は亡き人となってしまった、と思うと
幼き御心地なれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊びたまはず、
幼い心地にも胸がふとふさがって、いつものようにも遊ぶ気にならず、
昼はさてもまぎらはしたまふを、夕暮れとなれば、いみじく屈したまへば、
昼間はそれでも気が紛れているが、夕暮れにもなれば、どうしようもなく気分が滅入ってしまうので、
かくてはいかでか過ごしたまはむ、と慰めわびて、乳母も泣きあへり
こんな風では、どうやってこの先暮らしていけるのかしら、と慰めかねて、乳母も一緒に泣くのであった。
大納言邸では、源氏がお帰りになったまさにその日に宮様がおいでになられる。
年頃よりもこよなう荒れまさり、広うものふりたる所の、いとど人少なにさびしければ、見わたしたまひて、
以前よりも更に荒れ放題となって、広い敷地に古びた屋敷で、住む人も少なくさみしいばかりなのを見渡して、
かかる所には、いかでかしばしも、幼き人のすぐしたまはむ
「こんなところでは、幼い子どもが住んでいるのは少しの間でもたいへんでしょう、
なほ、かしこに渡したてまつりてむ
やはり、お屋敷にお移りくださいませ
何のところせきほどにもあらず、乳母は曹司などしてさぶらひなむ
何も窮屈なところではありませんよ、乳母はひとつ部屋がありますから、そこでお仕えしてください。
君は若き人々あれば、もろともに遊びて、いとようものしたまひなむ
若君には、同じくらいの年の子がいますから、一緒に遊んで、楽しく過ごせるはずですよ」
などのたまふ
などと、おっしゃる。
近う呼び寄せたてまつりたまへるに、かの御移り香の、いみじう艶に染みかへらせたまへれば、
近くお呼び寄せになると、源氏のお召し物に焚き染められた御香が移り香となって、たいそう優雅に匂い漂うので、
をかしの御匂ひや、御衣(おんぞ)はいと萎えて
「すばらしい香りですね、お着物は萎えていらっしゃるけれども・・・」
と心苦しげに思いたり
と心苦しげにお感じになっていらっしゃる。
年頃も、あつしくさだすぎたまへる人に添ひたまへるよ
「何年もの間、ご病気で、若くもない尼上と、ご一緒にいらっしゃいましたね。
かしこに渡りて見ならしたまへなどものせしを、
あちらにお渡り頂いて、早く馴染んでくださいませとも申し上げておりましたが、
あやしう疎みたまひて、人も心置くめりしを、
なぜだかお疎みになられていらしたので、あちらのお方も気兼ねをされているようでしたので・・・
かかるをりにしもものしたまはむも、心苦し
このような折に、お移り頂くというのも心苦しくはありますが、」
などのたまへば、
などとおっしゃるので、
何かは、心細くとも、しばしは、かくておはしましなむ
「なんでもございません、心細くあっても、しばらくはここでお過ごしになるでしょう。
すこしものの心思し知りなむに渡らせたまはむこそ、よくははべるべけれ
もう少しものがわかるようになってから、お移りになるのがいいでしょう」
と聞こゆ
と申し上げる
夜昼恋ひきこえたまふに、はかなきものも聞こしめさず
「夜昼となく尼上を恋しがっていらっしゃって、ちょっとしたものも召し上がらないのです」
とて、げにいといたう面痩せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか見えたまふ
と言って、たしかに、ふっくらしていたお顔が面痩せしていらっしゃるけれども、かえってそれが上品で可愛らしく見える。
何かさしも思す、今は世に亡き人の御事はかひなし、おのれあれば
「どうして、そんなにまでも思い詰めるのですか?今はもう亡き人のことを思っても仕方ありませんよ、わたしがいるでしょ」
など語らひきこえたまひて、暮るれば、帰らせたまふを、
などと語り聞かせて、日が暮れたので、もうお帰りになるのを、
いと心細しと思いて泣いたまへば、宮うち泣きたまひて、
たいへん心細くなり、お泣きになるので、宮様ももらい泣きされて
いとかう思ひな入りたまひそ
「こんなにまで、思い詰めないでください
今日明日渡したてまつらむ
今日か明日にでもお迎えにきましょう」
など、かへすがへすこしらへおきて、出でたまひぬ
などと、返すがえすなだめおいてお帰りになる
なごりも慰めがたう泣きゐたまへり
名残のさみしさも慰めがたく、ずっと泣いていらっしゃる。
行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、
これから自分がどうなることかなどは思いも及ばず、
ただ年頃たち離るるをりなうまつはしならひて、今は亡き人となりたまひにける、と思すがいみじきに、
ただ、この何年か、離れることなく、お側でまとわりつくようにして慣れていた尼上が、今は亡き人となってしまった、と思うと
幼き御心地なれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊びたまはず、
幼い心地にも胸がふとふさがって、いつものようにも遊ぶ気にならず、
昼はさてもまぎらはしたまふを、夕暮れとなれば、いみじく屈したまへば、
昼間はそれでも気が紛れているが、夕暮れにもなれば、どうしようもなく気分が滅入ってしまうので、
かくてはいかでか過ごしたまはむ、と慰めわびて、乳母も泣きあへり
こんな風では、どうやってこの先暮らしていけるのかしら、と慰めかねて、乳母も一緒に泣くのであった。
2011年8月29日月曜日
かけてもいと似げなき御こと
君の御許よりは、惟光を奉れたまへり
源氏のもとからは、惟光が遣わされた。
参り来べきを、内裏より召しあればなむ、心苦しう見たてまつりしも、静心なく
「参上致すべき折ですが、宮中よりお呼びがかかりまして、本日は伺えません。さみしいお屋敷のご様子が心配でなりませんが・・・」
あぢきなうもあるかな、戯れにても、もののはじめにこの御ことよ
「まあなんてことかしら、かりそめにても、もののはじめから、こんなこととは、
宮聞こしめしつけば、さぶらふ人々のおろかなるにぞさいなまむ
宮様がお聞きになられたら、仕える者が至らないからと、お叱りになるでしょう
あなかしこ、もののついでに、いはけなくうち出できこえさせたまふな
間違っても、何かの拍子に、うっかりとこのことは、話してしまう様なことがないように」
など言ふも、それをば何とも思したらぬぞあさましきや
などと言っているのだが、何のことかもお分かりにならないことなのだから、話しにもならない。
少納言は、惟光にあはれなる物語りどもして、
少納言は、惟光に姫様の境遇などもお話しして、
あり経て後や、さるべき御宿世、逃れきこえたまはぬやうもあらむ
後々のこととしては、姫様の宿世は、そのようなものであるのかもしれません。
ただ今は、かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを、
ただ今は、全く似つかわしくないお話でございますので、
あやしう思しのたまはするも、いかなる御心にか、思ひよる方なう乱れはべる
不思議と、お心遣いを頂き、お言葉を頂いても、どのようなお気持ちからか、思いよるすべもなく心が乱れております。
今日も宮渡らせたまひて、
今日も宮様がおいでになって、
うしろやすく仕うまつれ、心幼くもてなしきこゆな
「あとの心配がないようにお仕えしてください、一人の女性としてお扱いください」
とのたまはせつるも、いとわづらはしう、
とおっしゃられたことも、大変心に掛かり、
ただなるよりは、かかる御好き事も思ひ出でられはべりつる
そのようなことで、あのような勝手なお振る舞いも思いだされるのです。
など言ひて、この人も事あり顔にや思はむなど、あいなければ、
などと言って、惟光にあたかも事があったかのように思われるのもしゃくなので、
いたう嘆かしげにも言ひなさず、大夫も、いかなることにかあらむ、と心得がたう思ふ
淡々とお話しになられるので、惟光の方も、いったいどんなことがあったのか、と不思議に思っている。
源氏のもとからは、惟光が遣わされた。
参り来べきを、内裏より召しあればなむ、心苦しう見たてまつりしも、静心なく
「参上致すべき折ですが、宮中よりお呼びがかかりまして、本日は伺えません。さみしいお屋敷のご様子が心配でなりませんが・・・」
あぢきなうもあるかな、戯れにても、もののはじめにこの御ことよ
「まあなんてことかしら、かりそめにても、もののはじめから、こんなこととは、
宮聞こしめしつけば、さぶらふ人々のおろかなるにぞさいなまむ
宮様がお聞きになられたら、仕える者が至らないからと、お叱りになるでしょう
あなかしこ、もののついでに、いはけなくうち出できこえさせたまふな
間違っても、何かの拍子に、うっかりとこのことは、話してしまう様なことがないように」
など言ふも、それをば何とも思したらぬぞあさましきや
などと言っているのだが、何のことかもお分かりにならないことなのだから、話しにもならない。
少納言は、惟光にあはれなる物語りどもして、
少納言は、惟光に姫様の境遇などもお話しして、
あり経て後や、さるべき御宿世、逃れきこえたまはぬやうもあらむ
後々のこととしては、姫様の宿世は、そのようなものであるのかもしれません。
ただ今は、かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを、
ただ今は、全く似つかわしくないお話でございますので、
あやしう思しのたまはするも、いかなる御心にか、思ひよる方なう乱れはべる
不思議と、お心遣いを頂き、お言葉を頂いても、どのようなお気持ちからか、思いよるすべもなく心が乱れております。
今日も宮渡らせたまひて、
今日も宮様がおいでになって、
うしろやすく仕うまつれ、心幼くもてなしきこゆな
「あとの心配がないようにお仕えしてください、一人の女性としてお扱いください」
とのたまはせつるも、いとわづらはしう、
とおっしゃられたことも、大変心に掛かり、
ただなるよりは、かかる御好き事も思ひ出でられはべりつる
そのようなことで、あのような勝手なお振る舞いも思いだされるのです。
など言ひて、この人も事あり顔にや思はむなど、あいなければ、
などと言って、惟光にあたかも事があったかのように思われるのもしゃくなので、
いたう嘆かしげにも言ひなさず、大夫も、いかなることにかあらむ、と心得がたう思ふ
淡々とお話しになられるので、惟光の方も、いったいどんなことがあったのか、と不思議に思っている。
2011年8月28日日曜日
東琴(あづまごと)をすが掻きて、
参りて有様など聞こえれば、あはれに思しやらるれど、さて通ひたまはむもさすがにすずろなる心地して、
惟光は、源氏のもとに参上して、屋敷の様子などを申し上げると、源氏は感慨深く思いを馳せるのだが、そうかといって、通い詰めるのもさすがに無意味な気がして、
軽々しうもてひがめたると、人もや漏り聞かむなどつつましければ、
誰かが漏れ聞いたら、軽々しく、常軌を逸している行動だと噂がたつのも避けたいので、
ただ、迎へてむと思す
方法はただひとつ、二条院にお迎えしようと考える。
御文はたびたび奉れたまふ
お手紙はたびたび送らせて、
暮るれば、例の大夫をぞ奉れたまふ
日が暮れれば惟光をお遣わしになる。
さはる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや
「差しさわりがありまして、参上できませんが、おろそかにしているとお考えではないでしょうか、」
などあり
などとお伝えする。
宮より明日にはかに御迎へにとのたまはせたりつれば、心あわたたしくてなむ、
「宮様より、急遽明日、迎えに来られるとのことでしたので、あわただしくしております。
年頃の蓬生(よもぎふ)を離(か)れなむも、さすがに心細く、さぶらふ人々も思ひ乱れて
長年住み慣れた蓬のお屋敷も、離れてしまうとなるとさすがに心細くて、仕える者たちも思い乱れております。」
と言少なに言ひて、をさをさあへしらはず、物縫ひ営むけはひなどしるければ、参りぬ
と言葉少なく、さほど相手にもせずに、縫い物などに精を出している様子なので、惟光は早々に帰参したのであった。
君は大殿におはしけるに、例の女君、とみにも対面したまはず、ものむつかしくおぼえたまひて、
源氏の君は左大臣邸にいらっしゃるが、例のごとく、女君はすぐにもお出ましにならない。所在なく思われて、
東琴(あづまごと)をすが掻きて、
東琴をすが掻きにし
常陸には田をこそつくれ、といふ歌を、声はいとなまめきて、すさびゐたまへり
「常陸には田をこそつくれ・・・・(田作りで多忙で、浮気などしていないのに・・・・)」という歌を、なまめかしい声で興じていた。
参りたれば、召し寄せて、有様問ひたまふ
惟光がやってきたので、お部屋に呼び寄せて様子を尋ねる。
しがじかなむ
これこれこうでございます
と聞こゆれば、くちをしう思して、
と報告を聞くと、おもしろくない、とお思いになって
かの宮に渡りなば、わざと迎へ出でむもすきずきしかるべし
「一度兵部卿の元に渡ってしまえば、引き取るにしても噂が立ち差し障りがあるだろう。
幼き人盗み出でたりと、もどき負ひなむ
幼い人を盗み出したと非難も受けるかもしれない。
その前に、しばし人にも口がためて、渡してむ
その前に、しばらくの間口止めをして、二条院に渡してしまおう」
と思して、
と思って
暁、かしこにものせむ、車の装束さながら、随人一人二人仰せおきたれ
夜明け前にあちらの屋敷にいるようにしたい、車はそのままで、随人を一人か二人手配しておきなさい」
とのたまふ
と仰せになる
うけたまはりて立ちぬ
惟光は承って、退出した。
惟光は、源氏のもとに参上して、屋敷の様子などを申し上げると、源氏は感慨深く思いを馳せるのだが、そうかといって、通い詰めるのもさすがに無意味な気がして、
軽々しうもてひがめたると、人もや漏り聞かむなどつつましければ、
誰かが漏れ聞いたら、軽々しく、常軌を逸している行動だと噂がたつのも避けたいので、
ただ、迎へてむと思す
方法はただひとつ、二条院にお迎えしようと考える。
御文はたびたび奉れたまふ
お手紙はたびたび送らせて、
暮るれば、例の大夫をぞ奉れたまふ
日が暮れれば惟光をお遣わしになる。
さはる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや
「差しさわりがありまして、参上できませんが、おろそかにしているとお考えではないでしょうか、」
などあり
などとお伝えする。
宮より明日にはかに御迎へにとのたまはせたりつれば、心あわたたしくてなむ、
「宮様より、急遽明日、迎えに来られるとのことでしたので、あわただしくしております。
年頃の蓬生(よもぎふ)を離(か)れなむも、さすがに心細く、さぶらふ人々も思ひ乱れて
長年住み慣れた蓬のお屋敷も、離れてしまうとなるとさすがに心細くて、仕える者たちも思い乱れております。」
と言少なに言ひて、をさをさあへしらはず、物縫ひ営むけはひなどしるければ、参りぬ
と言葉少なく、さほど相手にもせずに、縫い物などに精を出している様子なので、惟光は早々に帰参したのであった。
君は大殿におはしけるに、例の女君、とみにも対面したまはず、ものむつかしくおぼえたまひて、
源氏の君は左大臣邸にいらっしゃるが、例のごとく、女君はすぐにもお出ましにならない。所在なく思われて、
東琴(あづまごと)をすが掻きて、
東琴をすが掻きにし
常陸には田をこそつくれ、といふ歌を、声はいとなまめきて、すさびゐたまへり
「常陸には田をこそつくれ・・・・(田作りで多忙で、浮気などしていないのに・・・・)」という歌を、なまめかしい声で興じていた。
参りたれば、召し寄せて、有様問ひたまふ
惟光がやってきたので、お部屋に呼び寄せて様子を尋ねる。
しがじかなむ
これこれこうでございます
と聞こゆれば、くちをしう思して、
と報告を聞くと、おもしろくない、とお思いになって
かの宮に渡りなば、わざと迎へ出でむもすきずきしかるべし
「一度兵部卿の元に渡ってしまえば、引き取るにしても噂が立ち差し障りがあるだろう。
幼き人盗み出でたりと、もどき負ひなむ
幼い人を盗み出したと非難も受けるかもしれない。
その前に、しばし人にも口がためて、渡してむ
その前に、しばらくの間口止めをして、二条院に渡してしまおう」
と思して、
と思って
暁、かしこにものせむ、車の装束さながら、随人一人二人仰せおきたれ
夜明け前にあちらの屋敷にいるようにしたい、車はそのままで、随人を一人か二人手配しておきなさい」
とのたまふ
と仰せになる
うけたまはりて立ちぬ
惟光は承って、退出した。
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