2011年9月10日土曜日

わらはやみにわづらひたまひて

わらはやみにわづらひたまひて、よろづにまじない、加持などまゐらせたまへどしるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、
隔日または連日、時を定めて発熱する当時流行の病にかかり、幾種もの祈祷、陀羅尼(だらに)などのご祈祷をされましたが、効果が見えず何度も繰り返すようになり、

ある人、北山になむ、なにがし寺といふ所にかしこき行ひ人はべる、
ある人が、「京都の北山のなにがし寺というところに、腕のいい祈祷師がおり、

去年(こぞ)の夏も世におこりて、人々まじなひ、わづらひしをやがてとどむるたぐひあまたはべりき
去年の夏も流行りがありましたが、人々がこの方の祈祷を受けて、すぐさま治ってしまったというようなことが多くございました。

ししこらかしつる時はうたてはべるを、疾くこそこころみさせたまはめ、
病をこじらせると面倒ですから、すぐにでもご祈祷をお受けくださいませ、」

など聞こゆれば、召しに遣はしたるに
などと申し上げるので、参内頂けるように使者を遣わしたところ、

老いかがまりて室(むろ)の外(と)にもまかでず、と申したれば
「老いて腰が曲がって外出もままなりません、」と返事があると、

いかがはせむ、いと忍びてものせん、とのたまひて、御供に睦ましき四五人ばかりして、まだ暁におはす
源氏、「どうしようか、忍びで出かけよう」と仰せになり、供に親しい者4~5人のみお連れになり、夜明け前の暗がりの中お出かけになられる。

やや深う入る所なりけり
北山の、やや深く入った所である。

弥生の晦日(つごもり)なれば、京の花、盛りはみな過ぎにけり
三月の末日のことなので、都の花は散り始めている。

山の桜はまだ盛りにて入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば
山の桜はこれから満開を迎える時期で、奥に入っていくにつれて、だんだんとあたりの様子が、霞がかかり、なんとも趣きがあるように見えてくるので、

かかる有様もならひたまはず、ところせき御身にてめづらしう思されけり
こういった景色も見慣れなく、このように出歩くのも不自由な御身分なので、すべてが目新しく新鮮に感じられる。

寺の様もいとあはれなり
山寺は、なんとも趣がある。

峰高く、深き岩のうちにぞ、聖入りゐたりける
そこから更に峰がそびえ立ったところ、奥まった岩の内側に聖がお座りになっている。

登りたまひて、誰とも知らせたまはず、いといたうやつれたまへれど、しるき御様なれば
源氏、そこまで登って行き、誰とも名乗らず、たいへん質素な感じに身をやつしていらしても、きわだった印象であるので、

あなかしこや、一日(ひとひ)召しはべりしにやおはしますらむ
「まあ、なんとしたことでしょうか、先日、お申し付け頂いた方であられますね、

今はこの世のことを思ひたまへねば、験方の行ひも棄て忘れてはべるを、いかで、かうおはしましつらむ
今は俗世を離れておりますので、まじないの行いも忘れてしまった程でございますのに、どうして、こんな処までおいで頂けたのでしょうか?」

と驚き騒ぎ、うち笑みつつ見たてまつる
と驚きを顕にし、微笑みをもって迎えられる。

いと尊き大徳なりけり
たいへん徳の高い僧である。

さるべきもの作りてすかせたてまつり、加持などまゐるほど、日、高くさしあがりぬ
薬を作って飲ませて差し上げ、加持などをするうちに日が高く上がってきた。

すこし立ち出でつつ見渡したまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる
源氏が、すこし立って出歩いてみると、あたりが見渡せる高い所があり、ここかしこに僧坊の様子が手に取るように見下ろせる。

ただこのつづら折の下に、同じ小柴なれど、うるはしくしわたして、きよげなる屋、廊などつづけて、木立いとよしあるは
ここから、つづら折りで下に折れながらつづいている道の先に、他と同様の小柴の垣根ではあるが、整然とし渡されていて、小ぎれいな母屋に渡り廊下などが続いていて、趣のある木立が庭によく手入れされ植えてあるのを見て、

何人の住むにか、と問いたまへば
「どなたのお住まいか」と源氏が問うと

御供なる人、これなむ、なにがし僧都のこのふたとせ籠もりはべる方にはべるなる
お供の人が、「これはですね、なにがしの僧都が、この二年の間、山籠もりをしている母屋でございます。」

心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ、あやしうもあまりやつしけるかな、聞きもこそすれ、などのたまふ 
源氏、「そのような立派な方がいらっしゃる所なのに、見苦しい程にも身をやつし過ぎて来てしまったものだが、訪れたことを耳にされるかもしれない」などとおっしゃられる。

きよげなる童などあまた出で来て閼伽奉り、花折りなどするも、あらはに見ゆ
さっぱりとした身なりの子供たちが沢山出てきて、仏壇にお水をあげたり、花を折ったりするのもよく見える。

かしこに女こそありけれ、僧都はよもさやうにはすゑたまはじを、いかなる人ならむ、と口々言ふ
「あそこに女がいるということは、僧都は、まさか、このようには女を家には置かないものなのに、どういった故のある人なのでしょう」などとお供の者たちがささめきあっている。

下りてのぞくもあり、をかしげなる女子ども、若き人、童べなむ見ゆる、と言ふ
坂の下まで降りていって覗き見する者もあり、
「可愛らしい女の子、若い女房や子供たちが見える」などと言っている。

君は行ひしたまひつつ、日たくるままに、いかならむと思したるを
源氏の君は、また、勤行されて、そのうちにだんだんと日が高くなり、病はどうにかなるのだろうかと、経過をご心配になられている。

とかう紛らはさせたまひて、思し入れぬなむよくはべる、と聞こゆれば、しりえの山に立ち出でて京の方を見たまふ
「とかくに気を紛らせて、思い詰めないのがいいですよ」と大徳が申し上げると、「それでは」、と後方の小高い山に赴いて、京の方をご覧になられる。

はるかに霞みわたりて、四方(よも)の梢そこはかとなうけぶりわたれるほど
はるか四方に霞がかり、そこここの梢がそこはかとなく煙るように見渡せるので、

絵にいとよくも似たるかな、かかるところに住む人心に思ひ残すことはあらじかし、とのたまへば
「絵をみているようですね、こういうところに住んでいる人は、心に思い残すことはないことでしょう」とおっしゃれば、

これはいと浅くはべり、人の国などにはべる海山の有様などをご覧ぜさせてはべらば、いかに御絵いみじうまさらせたまはむ、富士の山、なにがしの嶽
「このくらいは序の口でございます。地方にございます海や山の景色などご覧になることがあれば、どれ程素晴らしい絵をお描きになられることか。富士の山、なにがし嶽、etc.」

など語りきこゆるもあり、また西国(にしくに)のおもしろき浦々、磯の上を言ひつづくるもありて、よろづに紛らはしきこゆ
などと見てきたように言うものもあり、または瀬瀬戸内の海岸の入り瀬の様子や、岩場の様子などを報告するものもあって、いろいろと源氏の気分を紛らせようと様々な話しをする。

近きところには、播磨の明石の浦こそなほ殊にはべれ
「ここから近いところでは、播磨の国の明石の海岸がとてもいい所でございます。

何の至り深き隈はなけれど、ただ海のおもてを見渡したるほどなむ、あやしく異ところに似ずず、ゆほびかなるところにはべる
ななにが、ということはないのですが、あたり一の海面の様子が広々として、ことのほかゆったたりと、暖かく穏やかで、ここの場所を訪れるると不思議に気分が良くなるものです。」

かの国の前の(さきの)守(かみ)、新発意(しぼち)の、むすめかしづきたる家、いといたたしかし
「ここの国を治めていた前任の国司は、最近新たに発願して坊主になった者で、娘を大切に育ててておりますが、たいそうな御屋敷でございます。」

大臣の後にて、いでたちもすべかりける人の、世のひがものにて、まじらひもせず、
「大臣の末えいで、出世してもおかしくないのにもかかわらず、世間からしてみたら変わり者で、人付き合いが悪く、

近衛の中将を捨てて申したまはれりける司なれど、かの国の人にもすこしあなづられて
近衛の中将の地位を捨てて代わりに申しつかったた国の司なんですが、播磨の国でもやはり人人々にすこし軽くみられるようなところがございまして、

何の面目にてかまた都にもかへらむ、と言いてて、かしらもおろしはべりにけるを、
『どんな面目躍如ということで、もう一度都にかえることができようか』と言い、断髪をして出出家をされてしまわれました。」

すこし奥まりたる山住みもせで、さる海づら出でゐたる、ひがひがしきやうなれど、
「すこし内陸に入れば、山に住むこともできるのに、わざわざこのような海辺に住むというのは、僧都としてはまともではないようでもあるのだが、

げに、かの国のうちに、さも人の籠もりゐぬべき所々はありながら
~たしかにこの国には、隠遁の生活には適する場所が、所々にありながら

深き里は人離れこころすごく、若き妻子の思ひわびぬべきにより
人里離れて暮らすのはぞっとするほど寂しく、若い妻や子供には辛いことであろうということで、

かつはこころをやれる住まひになむはべる
やはり海辺のほうが、気が晴れる佇まいとなっているようです。」

先つ頃(さいつころ)まかりくだりてはべりしついでに、有様見たまへに寄りてはべりしかば
「つい最近も、わたくしが帰郷したついでに、様子伺いにここに寄って参りましたが、

京にてこそ所得ぬやうなりけれ、そこら遥かにいかめしう占めて造れる様、さはいへど、国の司にてしおきけることなれば
京都でこそ所在が得られずにいたものでしたが、そこらじゅうの土地を占領して、いかめしく邸宅を造りあげている様子は国司(受領)の地位にてこそできるもので、

残りのよはひ豊かに経(ふ)べき心構へも二なくしたりけり
残りの人生も豊かに暮らせるだけの準備は怠りなくしていたようでございます。

後の世の勤めもいとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむはべりける、と申せば、さてその娘は、と問いたまふ
来世祈願のお勤めもよくしていて、かえって法師などより優れている人であります」と申しあげると、源氏は、「それではその娘は、」とお聞きになる。

けしうはあらず、かたち、心ばせなどはべるなり
「悪くないです。顔立ち、気立てなどもいいでしょう」

代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず
「代々の国司などが、相当下準備をして結婚などをほのめかす様ですが、入道は決して承諾せず、

わが身のかくいたづらに沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思う様殊になり
『我が人生はこのようにいたずらに過ぎ、沈んだ身にさえあるが、この娘ひとりにこそ格別な思い入れがある』

もし我に後れて、そのこころざし遂げず、この思ひおきつる宿世違はば海に入りね、と常に遺言しおきてはべるなる
『もしわたしが先にあの世へいったとして、その志が遂げられず、思い描いた宿世と違うようであったならば、入水してしかるべきである』と常に遺言を残しているということのようです。」

と聞こゆれば、君もをかしと聞きたまふ
と申し上げると、源氏の君も興味津々でお聞きになる。

海竜王の后になるべき、いつき娘なり、心高さ苦しや、とて笑ふ
「海竜王の后になる運命の秘蔵の娘なのですね、こころざしが高いのはつらいものだね」と言って笑う。

かく言ふは播磨の守(かみ)の子の、蔵人より今年冠(かふぶり)得たるなりけり
このように言うのは、現在の播磨の守(国司)の息子で、六位の蔵人より、今年従五位下に叙せられ、爵位を得た者である。

いと好きたる者なれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし、さてたたずみよるならむ。と言ひあへり
「たいへんな色男なので、かの入道の遺言を我こそが破ろうという気概があるんだろうね、それだから、わざわざかの地を訪れて寄って行くんだろう」などとお供のものたちは、それぞれ言いあっている。

いでや、さいふとも、田舎びたらむは、幼くよりさる所におい出でて、ふるめいたる親にのみ従ひたらむは
「いやいや、そうは言っても、垢抜けないでしょう。出生がそんな片田舎で、しかもその古めかしい考えの親に箱入り娘のように育てられたのであれば」

母こそ故あるべけれ、よき若人(わかうど)、童など、都のやむごとなき所々より類にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ
「母方は由緒ある出で、折に触れて、品のいい若い娘や童などを都の高貴な家から雇い入れて、眩いほどのもてなし様でお育てしているようです」

情けなき人なりてゆかば、さて心やすくしても、えおきたらじをや、など言ふもあり
「もともと、趣味のあまりないような身分の者が国司になって赴任したのならば、そのようにゆったりとした感じでお育てすることもできないものでしょう」などと言う者もある。

君、何心ありて、海の底まで深ふ思ひ入るらむ、底のみるめもものむつかしう、などのたまひて、ただならず思したり
源氏の君、「どういった理由で、海の底にまで深く思いが行くのでしょうね、海の底に生息している海松布(みるめ)でさえ気が重いでしょうに、」などとおっしゃり、ただならず関心を寄せていらっしゃる様子である。

かやうにても、なべてならず、もて僻みたること好みたまふ御心なれば、御耳とどまらむをや、と見たてまつる
このように、ひととおりではなくて一風変わったことをお好みになられるお人柄なので、関心を示されているのだろうとお見受する。

暮れかかりぬれど、おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ、はや帰らせたまひなむ、とあるを
「暮れかかったけれども発作も起こらないようですので、早くお帰りになられたほうが」と供の者が言うのを、

大徳(だいとこ)、御物の怪など加はれる様におはしましけるを、今宵はなほ静かに加持などまゐりて出でさせたまへ、と申す
大徳は、「物の怪などの気配が感じられますので、今宵はこのままご静養されて、加持祈祷をさせていただきますので、明日ご出発なさいませ」と申し上げる。

さもあること、と皆人申す。君も、かかる旅寝もならひたまはねば、さすがにをかしくて、さらば暁に、とのたまふ
「用心に越したことはない」と皆家来の者たちも申し上げるので、源氏の君は、このような旅の宿泊もあまりないことで、さすがに興に乗り「それならば暁に出発しましょう、」と仰せになる。


2011年9月9日金曜日

日もいと長きに、つれづれなれば

日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたう霞みたるにまぎれて、かの小柴垣のもとに立ち出でたまふ
春の日は長く、暇をもてあましてもいる頃に、日は夕暮れて霞がかかり、人目にもつかない様子でもあるので、先程の小柴垣の庭まで再度足を運んでみる。

人々は帰したまひて、惟光の朝臣(あそん)とのぞきたまへば、ただこの西おもてにしも持仏すゑたてまつりて、行ふ尼なりけり。
他のお伴のものは帰して、惟光の朝臣と二人で中を覗いていると、西に向けて開いている部屋で、仏様の像を据えて行をしている尼の姿がみえた。

簾少し上げて花奉るめり
簾を少しあげてお花をお供えしているように見える。

中の柱に寄りゐて脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず
部屋の中の柱に寄りかかるようにして、肘掛の上にお経本を置いて、たいへんなまめかしく読んでいる尼は、ただ人のようには見えない。

四十余(しじゅうよ)ばかりにて、いと白うあてに痩せたれど、
40歳を過ぎた頃で、色白で、上品で痩せているけれども、

つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかな、とあはれに見たまふ
顔つきはふっくらとして、目つきの感じもよく、髪が綺麗に切りそろえられている様子なども、かえって長いのよりも今風でいいものだな、と感心して見ていらっしゃる。

きよげなる大人、二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ
こざっぱりとした女房、二人ばかりが見えて、それから子供たちが出たり入ったりして遊んでいる。

中に、十ばかりにやあらむと見えて、
そのなかに、10歳くらいかなと思える子がいて、

白き衣(きぬ)、山吹などの萎えたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子供に似るべうもあらず、
白い衣の上に山吹色の萎えた着重ねで走ってくる女の子で、そこに沢山いるほかの子に比べものにならないくらいな、

いみじく生い先見えてうつくしげなる容(かたち)なり
本当に生い先が目に浮かぶ、可愛らしい感じの子である。

髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり
髪は扇をひろげたみたいにゆらゆらと揺れて、泣きながら手でこすった顔を赤くすりなして立ちすくんでいる。

何事ぞや わらわべと腹立ちたまへるか とて尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば、子なめり、と見たまふ。
「何事ですか? 子供たちと喧嘩なさったのですか?」と言って、座っている尼が立っている女の子を見上げているそのお顔に、少し面影が感じられるので、この尼の娘なんだろう、と思って源氏は見ていらっしゃる。

すずめの子をいぬきが逃がしつる。伏籠のうちにこめたりつるものを とて、いと口惜しと思へり 
「すずめの子をいぬきが逃がしてしまったの、籠を伏せて逃げないようにしておいたのに、」と言って、たいへん悔しがっている。

この居たる大人、例の心なしのかかる業をしてさいなまるるこそいと心づきなけれ、
そこに居合わせた女房、「またあのおっちょこちょいが、こんなことをしてお叱りをうけるのは本当に困ったことですね」

いづ方へかまかりぬる、いとをかしうやうやうなりつるものを、烏などもこそ見つくれ とて立ちて行く
「すずめの子はどこへいったんでしょうね、かわいらしく本当になってきたのに、カラスなんかに見つけられなければいいんですけど」と言って立って部屋を出ていく。

髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり
髪はゆったりとして長く、感じのよい人のようだ。

少納言の乳母とこそ人言ふめるはこの子の後見なるべし
少納言の乳母と呼ばれているようだが、おそらくこの子をお世話している女房なのだろう。

尼君、いで、あな幼や、言うかひなうものしたまふかな、
尼君、「まあ、なんて幼いことでしょう、言ってもわからないのかしら、」

おのがかく、今日明日におぼゆる命をば何とも思したらで、すずめ慕ひたまふほどよ
「わたしが今日明日の命かというのに何ともお思いにならないで、すずめがいなくなったと騒いでいらっしゃるとは、」

罪得ることぞと常に聞こゆるを心憂く とて、こちや と言へば、ついゐたり
「仏様の罪をつくりますよといつも教えているのに困ったものね」と言って、「こちらへいらっしゃい」と言うと、ひざをついてちょこんと座る。

つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたるひたひつき、髪ざし、いみじううつくし、
顔つきはたいへんかわいらしく、眉はほっそりと空中にただよった煙のように見える。子供らしく掻き分けられた髪に、額の感じがたいへんかわいらしく、いとおしい様子で見えて、

ねびゆかむ様ゆかしき人かなと目とまりたまふ
「だんだん大人になっていくのが楽しみな子だなあ・・・・」と目がとまってしまう。

さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけり、と思ふにも、涙ぞ落つる
「それというのも、限りなく心を尽くすあの方にたいへんよく似ているから、自然と目がとまってしまうのだ」と気づくと、自然と涙がこぼれていくのであった。

尼君髪をかきなでつつ、梳ることをうるさがりたまへど、をかしの御ぐしや
尼君は髪をかきなでながら、「梳かすのをうるさがられるけれど、ほんとうに立派な髪だこと」

いとはかなうものしたまふこそあはれにうしろめたけれ
「たよりないばかりでいらっしゃるのが不憫でなりません」

かばかりになればいとかからぬ人もあるものを
「このくらいの年になれば、もっとずっと大人っぽくあってもいいものなのに・・・」

故姫君は十ばかりいて殿におくれたまひしほどいみじうものは思ひ知りたまへりしぞかし
「あなたのお母様は十歳ほどで、父君に先立たれましたが、その頃にはもう物事をわきまえていらっしゃいましたよ」

ただ今おのれ見捨て奉らばいかで世におはせむとすらむ、とていみじく泣くを見たまふもすずろに悲し
「たった今にだって、わたしが先立つようなことがあったならば、どうやって生きていくのでしょう」と言ってさめざめと泣くのを見ていらっしゃると、傍で感じる雰囲気にも、ただただ悲しく感じられる。

僧都あなたより来て、こなたはあらはにやはべらむ、今日しも端におはしましけるかな、
僧都があちらのほうから来て、「ここは丸見えじゃないですか、今日に限ってこんな端の方にいらっしゃるのですね」

この上の聖の方に源氏の中将のわらはやみまじなひにもしたまひけるを、ただ今なむ聞きつけはべる
「この上の聖の坊に、源氏の中将が病のご祈祷にお越しになられているというのを今しがた聞きつけてきました」

いみじう忍びたまひければ知りはべらで、ここにはべりながら、御とぶらひにも参(ま)でざりける、とのたまへば、
「たいへんお忍びでいらしたので知らずに、こんなに近くにありながらお見舞いにも伺わずにおりました」と言えば、

あないみじや、いとあやしき様を人や見つらむ、とて、簾おろしつ
「まあたいへんなこと、誰かに見られでもしたら・・・」と言って簾を下ろしてしまう。

この世にののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはむや
「世間に名だたる源氏の君には、このような機会にでもなければお目にかかれないことでしょう」

世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の愁へ忘れ、齢(よはひ)延ぶる人の御有様なり
「出家した法師の立場にあっても、世の中のうっとうしさを忘れて寿命が延びる心地がするほどのお姿ですよ」

いで御消息(せうそこ)聞こえむ
「ではご挨拶に伺いましょうか」

とて立つ音すれば、帰りたまひぬ
と言って立つ、絹づれの音がしたので源氏はご座所へお帰りになった。


2011年9月8日木曜日

あはれなる人を見つるかな

あはれなる人を見つるかな
「なんて心ゆかしい人を見たんだろう」

かかれば、この好き者どもは、かかる歩きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり
「こういうことがあるから、世の中の好き者たちは、こうしてそぞろ歩きばかりをして、意外に良い人を見つけたりするんだろう」

たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよ、とをかしう思す
「たまさかに出歩いたのでさえ、これだけ思いのほかにすばらしい人を見つけたのだから」と興味深く感慨にふける。

さても、いとうつくしかりつる稚児かな、
「それにしても、なんとも可愛らしい子だった」

何人ならむ、
「どういう由来の人なのだろう」

かの人の御かはりに明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心、深うつきぬ
「お慕いする、かの宮様にお会いできないかわりに、朝にも夕にも心が慰められるよう、屋敷においておきたいものだ」という思いが心の深いところにまで至るのであった。

うち臥したまへるに、僧都の御弟子、惟光を呼び出でさす
先に帰って休んでいると、僧都のお弟子の方が来て、惟光を呼び出した。

ほどなき所なれば、君もやがて聞きたまふ
それほど離れていないので、僧都の口上を伝えている声が直接源氏にも聞こえてくる。

よきりおはしましけるよし、ただ今なむ人申すに、驚きながら、
「お立ち寄りになられたことを、たった今聞きつけまして、驚いておりますが、

さぶらふべきを、なにがしこの寺に籠もりはべりとはしろしめしながら、忍びさせたまへるを、うれはしく思ひたまへてなむ
お仕えするべきものを、拙者がこの寺に籠もるとご存知であるはずながら、お知らせいただけず残念でございます」

草の御むしろもこの坊にこそまうけはべるべけれ、いと本意なきこと
「ご座所もわたくしのところで用意するべきでしたのに、申し訳がなく、」

と申したまへり
と弟子のものが口上をお伝えした。

すなはち僧都参りたまへり
すぐに僧都がやってくる。

法師なれどいと心恥づかしく、人柄もやむごとなく世に思はれたまへる人なれば、軽々しき御有様をはしたなう思す
法師ではあるが、大変立派な感じで、人柄もよろしいと世に評判の方なので、ご自分が軽々しい忍び歩きの身なりでは、きまりわるく感じられてしまう。

かく籠もれる程の御物語など聞こえたまひて、同じ柴の庵なれど、すこし涼しき水の流れもご覧ぜさせむ、とせちに聞こえたまへば、
この頃の山籠もりの間のお話などをされた後に、「同じ柴垣の庵ですが、すこし涼しい感じに鑓水などを施しておりますので、是非ご覧頂きたい、」と熱心にお誘いになるので、

かのまだ見ぬ人々にことごとしう言ひ聞かせつるをつつましう思せど、あはれなりつる有様もいぶかしくておはしぬ
先程の垣間見の時に、家の人々にぎょうぎょうしく言い聞かせていたことで遠慮したくもなったのだが、あわれに、はかない少女も心配であったので、その庵においでになる。

げに、いとこころ殊によしありて、同じ木草をも植ゑなしたまへり
まことに、殊に由緒のある風情で、同じ木や草を植えてあっても違った様子に見える。

月もなき頃なれば、遣り水に篝火ともし、灯籠などもまゐりたり
新月の頃で、真っ暗やみのなか、遣り水に篝火がともされ、灯籠なども近くに置かれている。

南面(おもて)いときよげにしつらひたまへり
南に面した部屋が綺麗にしつらえられている。

空薫物いとこころにくくかをり出で、名香の香など匂ひ満ちたるに、君の御追い風いとことなれば
薫香がそこはかとなく香りいでて、線香が薫香にまじりあい、部屋中に満ち満ちている中に、源氏のお召し物からの香りも追い風となり、館の中まで漂っていくと、

内の人々も心づかひすべかめり
奥にいる人々も、心を尽くしているようである。

僧都、世の常なき御物語り、後の世のことなど聞こえ知らせたまふ
僧都は、世の無常や、輪廻転生によりめぐり来る世のことなどを説法される。

わが罪のほど恐ろしう、あぢきなきことに心を占めて、生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり
ご自分の罪のほどが恐ろしく感じられ、思っても仕方がないどうしようもなく切ない気持ちが心を占領して、生きている限りこのことを思い悩むのかもしれない、

まして後の世のいみじかるべき、思し続けて、
まして生まれ変わった時のことが恐ろしく感じられると思うと、

かうやうなる住まひもせまほしうおぼえたまふものから、
いっそのこと、このような隠遁の暮らしもしてみたく思うそのそばから、

昼の面影心にかかりて恋しければ、
昼間見た面影が心にかかり、ゆかしくもあるので、

ここにものしたまふは誰にか、たずね聞こえまほしき夢を見たまへしかな、今日なむ思ひあわせつる、
「ここにいらっしゃるのは誰でしょう、たずねてみたいという夢をみたのですが、今日その夢とわかりました」

と聞こえたまへば、
と申し上げると、

うち笑いて、うちつけなる御夢語りにぞはべるなる。たずねさせたまひても御心劣りせさせたまひぬべし
笑みを浮かべて、「突然の夢語りですね、おたずねになっても、夢は褪せてしまわれるだけでしょうに」

故あぜちの大納言は世になくなりて久しくなりはべりぬれば、えしろしめさじかし
「あぜちの大納言は、亡くなってから随分な年月がたちますので、ご存知でないはずです」

その北の方なむ、なにがしが妹にはべる
「その側室がわたくしの妹でございます」

かのあぜち隠れて後、世を背きてはべるが、この頃わづらふことはべるにより、
「夫が亡くなりましたものですから、妹も出家をして、この頃病を患うことがありましたものですから、

かく京にもまかでねば、頼もし所に籠もりてものしはべるなり、
わたくしがこのように京にも行かずにいるので、祈祷などの際にもと、頼り所としてこのような山の中に籠もっているのでございます」

と聞こえたまふ
と申し上げる。

かの大納言の御娘、ものしたまふと聞きたまへしは、すきずきしき方にはあらで、まめやかに聞こゆるなり
「その大納言に娘がいらっしゃると聞きましたが、消して浮ついた気持ちからではなく、まじめなお話しでございます」

と推しあてにのたまへば、
とあて推量にたずねると、

娘、ただ一人はべりし、亡せてこの十余年にやなりはべりぬらむ
「娘はただ一人おりましたが、もう亡くなってから十年余りになりますでしょうか、」

故大納言、内裏に奉らむなど、かしこういつきはべりしを、その本意のごとくもものしはべらで、過ぎはべりにしかば、ただこの尼君ひとりもてあつかひはべりしほどに、
「亡くなった大納言は、この娘を入内させるつもりで、相当の秘蔵の娘としてお育てしていたのですが、思いのようにはいかないままに亡くなってしまい、ただこの尼君一人でお育てしていたところに、

いかなる人のしわざにか、兵部卿の宮なむ、忍びてかたらひつきたまへりけるを、
誰の仕業かわかりませんが、兵部卿の宮が忍んで通ってくるようになりまして、

もとの北の方、やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、
兵部郷の宮のそもそもの側室のお方は、たいへんなご身分の方でして、そのために心が休まらないことも多くあり、

明け暮れものを思ひてなむ亡くなりはべりにし
娘は、明け暮れのもの思いの末に、ついに亡くなってしまったのです」

もの思ひい病づくものと、目に近く見たまへし、など申したまふ
「もの思いが原因で病になるものだということを、間近に経験したものでございます」

さらば、その子なりけり、と思しあはせつ
『それならば、その娘の子供なのか、』と思い合わせる。

皇子(みこ)の御筋にて、かの人にも通ひきこえたるにや、といとどあはれに見まほしく、
「兵部卿の宮は、藤壺とは同腹の兄にあたる方であるので、その娘だというのなら皇族の血筋、それだからあの方の面影をも感じられたのであろう、」と更に心が惹かれ、無性に会ってみたくなる。

人の程もあてにをかしくう、なかなかのさかしら心なく、うち語らひて心のままに教へおほし立ててみばや
雰囲気も上品で洗練されていて、中途半端に利口ぶるところがなく、心をうちとけて自分の思うままに教育をして、理想の女性に仕立ててみたいと思う。

いとあはれにものしたまふことかな、
「それは大変なことだったのですね。」

それは、とどめたまふ形見もなきか、
「その方には、遺された忘れ形見はなかったのですか?」

と幼かりつる行く方の、なほたしかに知らまほしくて、問ひたまへば、
と幼く見えた少女の境遇を更に詳しく知りたくて、お尋ねになると、

亡くなりはべりしほどにこそはべりしか、
「亡くなる前に、一人子を宿しました」

それも女にてぞ
 「生まれたのは女の子です」

それにつけて、もの思ひの催しになむ、齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる
「それにつけても、心配の種になっているようで、老年となってはその子の行く末を最後まで見てやることができないと嘆いているようでございます」

と聞こえたまふ
と申し上げる。

さればよ、と思さる
「やはりそうだったのか、」とお思いになる。

あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく聞こえたまひてむや
「おかしな話しではありますが、その幼子の後見人として、私をお考えいただけませんでしょうか?」

思う心ありて、行きかかづらふ方もはべりながら、世に心の染まぬにやあらむ、一人住みにてのみなむ
「思うことがありまして、縁あり通うところもありますが、あまり夫婦の仲がしっくりといかないのか、一人暮らしばかりの毎日で、」

まだ似げなきほどと、常の人に思しなずらへて、はしたなくや
「まだ年がいかないからと常識的にお考えになり、きまり悪く感じられるでしょうか?」

などのたまへば、
などとおっしゃれば、

いとうれしかるべき仰せごとなるを、まだ無下にいはけなきほどにはべるめれば、戯れいてもご覧じがたくや
「大変慶ぶべき仰せごとですが、まだまったくの子供でございますので、戯れといたしてもご覧いただくのは難しいのではないでしょうか、」

そもそも女人は人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば、くはしくはえとり申さず
「そもそも、女は世話をされてこそ成長できるものですので、わたくしからはっきりとはお返事申しあげようがございません」

かのおばに語らひはべりて聞こえさせむ
「この子の祖母からお返事を差し上げましょう」

と、すくよかに言ひて、ものごはき様したまへれば、若き御心に恥づかしくて、えよくも聞こえたまはず
と、淡々と言いなして、かたくなな様子であるので、若い源氏には恥ずかしく感じられ、それ以上はうまいように申し上げることができない。

阿弥陀仏ものしたまふ堂に、することはべる頃になむ、初夜いまだ勤めはべらず、過ぐしてさぶらはむ、とてのぼりたまふ
「阿弥陀仏のお堂での読経の時間で、初夜の勤めがありますので、済ませてまいります」と言って堂におのぼりになった。

2011年9月7日水曜日

君は心地もいとなやましきに

君は心地もいとなやましきに、雨すこしうちそそき、山風ひややかに吹きたるに、滝のよどみもまさりて、音高う聞こゆ
源氏は気分もすぐれない折に、小雨が降りしきり、山風が冷えびえと吹き降ろす音がしてきて、滝壺の水かさも増したように、水の音が轟々と聞こえてくる。

すこしねぶたげなる読経の絶え絶えすごく聞こゆるなど、すずろなる人も、所がら、ものあはれなり、まして思しめぐらすこと多くてまどろませたまはず
少し眠たげな読経の声がとぎれとぎれに聞こえてくるのが身にしみて、何人であっても場所柄の雰囲気にのみこまれてしまいそうなものの気配であるのに、ましてや源氏には思い巡らすことが多く、つゆもまどろむことができない。

初夜といひしかども、夜もいたう更けにけり
初夜と言っていたが、夜も相当更けてしまっている。

内にも人の寝ぬけはひしるくて、
奥のほうでも、人が寝ないで起きている気配がはっきりと感じられる。

いと忍びたれど、数珠の脇息にひき鳴らさるる音ほの聞こえ、なつかしううちそよめく音なひ、あてはかなりと聞きたまひて、
音を立てない様にはしているようではあるが、数珠が脇息に触れるのが微かに聞えてきて、そよそよと衣が擦れる音がなつかしく感じられる気配などはたいへん優雅である。

ほどもなく近ければ、外に立てわたしたる屏風をすこし引きあけて、扇を鳴らしたまへば、
気配を伺っているところが程なく近いところなので、間仕切りの屏風が幾双か立てわたしてある隙間を少し引き開けて、手元の扇を鳴らしてみると、

おぼえなき心地すべかめれど、聞き知らぬやうにやとて、ゐざり出づる人あなり
思いがけないことの気がするけれども、聞いておいて知らないふりもできないと思い、座ったまま寄ってくる人があった。

すこし退きて、「あやし、僻耳にや」とたどるを聞きたまひて、
少しさがり「なにかしら、空耳かしら」と探している様子をお察しになって、

仏の御しるべは、暗きに入りてもさらに違ふまじかなるものを、
「仏の道しるべは、暗闇にも決して迷うことはないものですのに、」

とのたまふ御声のいと若うあてなるに、うち出でむ声づかひも恥づかしけれど、
と仰せになられる声が、大変若くて気品があるので、言い出そうとする声使いが恥かしく感じられるが、

いかなる方の御しるべにか、おぼつかなく、と聞こゆ
「どういった道しるべでしょうか、雲を掴むようなことでございます。」と申し上げる。

げに、うちつけなり、とおぼめきたまむもことわりなれど、初草の若葉のうへを見つるより旅寝の袖もつゆぞかわかぬ、と聞こえたまひてむや
「たしかに唐突なこととあやしがられるでしょうが、『若草の若葉に目を留めてからというもの、旅の寝所で涙で袖が濡れてしまうのでございます』とお取り次ぎくださいませ」

とのたまふ
と仰せになる。

さらにかやうの御消息うけたまはり分くべき人もものしたまはぬ様はしろしめしたりげなるを、誰にかは、と聞こゆ
「このようなお歌を承るような姫君などはおりませんことは、ご承知おきくださっているはずですのに、誰にお伝えしたらよろしいでしょうか」と申し上げる。

おのづから、さるやうありて聞こゆるならむ、と思ひなしたまへかし、とのたまへば、入りて聞こゆ
「訳があって申しているのだろう、とご推察ください」とおっしゃられるので、奥に入りお伝えする。

あな、今めかし、この君や世づいたるほどにおはするとぞ思すらむ、さるにては、かの若草を、いかで、聞いたまへることぞ
「まあ、なんて今風のお歌でしょう、ここの姫君を年頃の娘と勘違いされているのかしら、それにしても、あの若草の歌をどうやってお聞きになったのでしょうね」

とさまざまあやしきに、心乱れて、久しうなれば、情けなしとして
と様々に不思議なことばかりで、いろいろと考えをめぐらし、ずいぶん時間がたってしまいそれも失礼であるので、

枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深やま(みやま)の苔にくらべざらなむ
「旅の枕での今宵だけの寂しさを、山籠もりの苔の衣(僧衣)の露けさには比べられないものでしょう」

干がたうはべるものを
こちらの袖は乾くあてはございませんものを、

と聞こえたまふ
と返歌をされる。

かうやうの伝なる御消息は、まださらに聞こえ知らず、ならはぬことになむ、かたじけなくとも、かかるついでにまめまめしう聞こえさすべきことなむ
「このような人づてのお話しは今までにないことで慣れておりません、恐れ入りますが、このようなついでに真面目にお話させて頂きたいことがあります」

と聞こえたまへれば、尼君、
と申し上げると、尼君は、

僻事、聞きたまへるならむ、いと恥づかしき御けはひに、何事をかはいらへきこえむ
「何か、間違ったことをお聞きになられたのでしょう、ご立派な方にどうお答えすればいいかしら、」

とのたまへば、
とおっしゃると、

はしたなうもこそ思せ
「お時間が経ちすぎますと、」

と人々聞こゆ
と女房たちが促す。

げに、若やかなる人こそうたてもあらめ、まめやかにのたまふ、かたじけなし
「そうですね、もう私は若くはないのだから躊躇はございません。真面目におっしゃって頂いているのにお答えしなくては畏れ多いことです」

とて、ゐざり寄りたまへり
と言い、座ったままで静かに進んでいった。

うちつけに、あさはかなりとご覧ぜられぬべきついでなれど、心にはさもおぼえはべらねば、仏はおのづから
「突然のことですので、浅はかな心であるという印象を持たれるのは当然ですが、私自身はそうは思っておりません、仏はおのずからご存知なはずで、」

とて、おとなおとなしう、恥づかしげなるにつつまれて、とみにもえうち出でたまはず
と、尼君の大人の雰囲気に気後れがして、慎ましく感じられて、即座に言葉が出ずに言いよどんでしまう。

げに、思ひたまへ寄りがたきついでに、かくまでのたまはせ、聞こえさするも、浅くはいかが
「本当に、思いもよらぬ折にここまで仰せになられているのですからどうして浅はかなどとは・・・・・」

とのたまふ
とおっしゃる。

あはれにうけたまはる御有様を、かの過ぎたまひにけむ御かはりに思しないてむ、
「先程お話いただきました姫君の境遇を感銘深く承りましたが、その、お亡くなりになった方の代わりと思って頂きたいのです」

言ふかひなきほどの齢(よはひ)にて、睦ましかるべき人にも立ちおくれはべりにければ、あやしう浮きたるやうにて、年月をこそ重ねはべれ
「私も、年端もいかない幼少の頃に親しみなつくべき親に先立たれたために、心が宙に浮いたように年月を重ねてまいりましたので、」

同じようにものしたまふなるを、たぐひになさせたまへ
「同じようでいらっしゃるのであれば、わたくしと同じ境遇の故にとお考えください」

といと聞こえまほしきを、かかるをりはべりがたくてなむ、思されむところをも憚らず、うち出ではべりぬる
「・・・と申し上げたかったのでございますが、このような機会はめったにないので、お考えになるだろうことも憚らずに申し上げた次第でございます」

と聞こえたまへば、
と源氏が申し上げると、

いとうれしう思ひたまへぬべき御ことながらも、聞こしめし僻めたることなどやはべらむ、とつつましうなむ
「大変嬉しく思うべきことながらも、間違ってお聞きになられてはいないのかと憚られ、たいへん恥ずかしゅうございます」

あやしき身ひとつを頼もし人にする人なむはべれど、いとまだ言ふかひなきほどにて、ご覧じ許さるる方もはべりがたげなれば、えなむ承りとどめられざりける
「わたくし一人を頼りとしている娘はありますが、まだほんの子供でございまして、お目にかけるほどのものではございませんので、そのようなお話はお受け致しかねるものでございます」

とのたまふ
と申し上げる。

みなおぼつかなからず承るものを、ところせう思し憚らで、思ひたまへ寄る様ことなる心のほどをご覧ぜよ
「すべてご事情は把握して申し上げているものですから、そんなに窮屈にお考えにならずに、心が惹かれて、愛着を感じているわたくしの、そのままの心で判断して頂きたいのです」

と聞こえたまへど、いと似げなきことをさも知らでのたまふ、と思して、心とけたる御いらへもなし
と源氏が申し上げても、年が不釣合いであるのをそれほど知らずにに仰せになられているのであろうと思われて、気を許した御返事もないのであった。

僧都おはしぬれば、
僧都が戻ってきたので、

よし、かう聞こえそめはべりぬれば、いと頼もしうなむ、とて押したてたまひつ
「まあ、こうしてお話の糸口がみつかりましたので、期待しております」と言って屏風をお閉めになられた。




2011年9月6日火曜日

暁方になりにければ

暁方になりにければ、法華三昧行ふ堂の懺法の声、山おろしにつきて聞こえくる、
暁の頃になると、法華堂にて、懺悔経をあげる声が山おろしの風にのって聞こえてくる。

いと尊く、滝の音に響きあひたり
読経の声が非常に尊くて、滝の音と響きあっている。

吹き迷う深山おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな
「吹きすさぶ深山おろしの風に夢から覚めて、滝の音を聞いたときに感涙の涙が催されました。」

さしぐみに袖ぬらしける山水にすめる心は騒ぎやはする
「不意においでになって、涙を誘った山水の有り様は、ここに住んでいる者にとっては心を騒がすようなものではございません」

耳馴れはべりにけりや
「耳馴れてしまいました。」

明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥ども、そこはかとなう囀りあひたり
明けてゆく空は、そこら辺りが見えない程に霞みがかかっていて、山鳥がどこに居るとも知らず囀り合っている。

名も知らぬ木草の花どもも、いろいろに散りまじり、錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くもめづらしく見たまふに、なやましさも紛れはてぬ
名前も知らない木や草に花が咲いていて、様々な色合いが散りまじって錦を敷いたように見える上を鹿が歩いているのは、見るももめずらしく、気分のすぐれないのもすっかり忘れてしまう。

聖、動きもえせねど、とかうして護身参らせたまふ
聖は、動くのもままならない様子であるけれど、どうにかして護身の修法を源氏に施してさしあげる。

いといたうすきひがめるも、あはれに功づきて、陀羅尼読みたり
枯れた声が抜けた歯の隙間から発音されているのも、修業の年功が感じられる様子で、陀羅尼を読んでいた。

御迎への人々参りて、おこりたまへるよろこび聞こえ、内裏よりも御とぶらひあり
京よりお迎えの人々が参上して、病気平癒ののお祝いを申し上げ、帝からもお見舞いがある。

僧都、世に見えぬさまの御くだもの、なにくれと、谷の底まで掘り出で、いとなみきこえたまふ
僧都は京では見られないような珍しい果物を谷の底まで求め、掘り出してきて様々に饗応される。

今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと、なかなかにも思ひたまへらるべきかな、など聞こえたまひて、大神酒(おほみき)参りたまふ
「今年ばかりは山に籠もるという誓いもありまして、お見送りもできないのがかえって残念でございます。」などと申し上げながら、お神酒を差し上げなさる。

山水に心とまりはべりぬれど、内裏よりおぼつかながらせたまへるも、かしこければなむ、いまこの花のをり過ぐさず参り来む
「山水の素晴らしい風景に心魅かれておりますが、帝からも心配いただいているのも畏れ多く、今のこの花の時期を見過ごさずにまた参拝いたしましよう。」

宮人に行きて語らむ山桜、風より先に来ても見るべく
「宮中の人に、帰ってから伝えよう、山桜を散らす風が吹くよりも先に来て見るべきと、」

とのたまふ御もてなし、声づかひさへ目もあやなるに、
と仰せになるご様子や声づかいがまばゆく見える程であるので、

優曇華の花待ち得たる心地して、深山桜に目こそうつらね
「このたびお会いできたことは、三千年に一度開花するという優曇華の花が咲くのを待ち得たような心地でございまして、深山桜には目移りも致しません」

と聞こえたまへば、ほほえみて、
と申し上げると、源氏はほほ笑んで、

時ありて、ひとたび開くなるは、かたかなるものを
「時がきて、一回きり開く花と聞いていますが、それこそ見るのは大変でしょう」

とのたまふ
とおっしゃる。

聖、御土器(おんかはらけ)賜はりて、
聖は、素焼きの杯を一杯飲み、

奥山の松のとぼそをまれにあけてまだ見ぬ花の顔を見るかな
「奥山の松の扉を、まれにあけてみて、一度も見たことのない花を見たのですよね。」

とうち泣きて見たてまつる
と感極まり泣きながらお顔を拝見している。

内に僧都入りたまひて、かの聞こえたまひしこと、まねび聞こえたまへど、
庵の奥に、僧都はお入りになり、昨夜、源氏が仰せになられたことをそのまま繰り返してお話したのだが、

ともかくも、ただ今は聞こえむ方なし、もし御こころざしあらば、いま四年五年(よとせいつとせ)を過ぐしてこそは、ともかくも
尼君は、「ともかくも、ただ今は申し上げようがございません。もしお心があるのなら、あと4~5年たってからまたということであればともかくも」

とのたまへば、
とおっしゃるので、

さなむ、と同じ様にのみあるを本意なしと思す
そういったことで、まったく、とりつくしまもなくおふのを、残念に思う。

御消息、僧都のもとなる小さき童して、
お手紙を、僧都の家の小さな子供をお使いにして

夕まぐれ、ほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわづらふ
「夕暮れに紛れて、ほのかに咲く赤い花の色を見てからは、霞がたっているこの場所を経ちがたく思います」

御返し
お返事に

まことにや花のあたりは立ち憂きと、霞むる空のけしきをも見む
「本当にこの花の場所を経ちがたいのかどうか、霞んでよく見えない天気の移り変わりの様なものではないでしょうか」

と、よしある手のいとあてなるを、うちすて書いたまへり
と、達筆で上品な筆使いを無造作にしなしている。

御車に奉るほど、大殿より、
お車にお乗りになられる時に、左大臣邸より、

いづちともなくておはしましにけること
「どこへともなくお出かけになられて、」

とて、御迎への人々、君たちなど、あまた参りたまへり
と、お迎えの人々、公達など、大勢おいでになった。

頭中将、左中弁、さらぬ君たちも慕ひきこえて、
左大臣家の長男である頭中将、その異腹の弟である左中弁などみんなが源氏を慕い、

かうやうの御供には、つかうまつりはべらむ、と思ひたまふるを、あさましくおくらさせたたまへること
「このようなお供にはお仕えさせていただくつもりでいましたのに、意外にも置いてかれましたことを、」

と恨みきこえて、
と愚痴を申し上げ、

いといみじき花の陰に、しばしもやすらはず、たち帰りはべらむは、飽かぬわざかな
「このような素晴らしい花の盛りには、すこしでもゆっくりしてから帰らないと後悔してしまいますね」

とのたまふ
とお誘いになる。

岩隠れの苔の上に並み居て、土器(かはらけ)参る
岩の陰に苔が敷かれている上に居並んで、酒宴が供される。

落ち来る水の様など、ゆゑある滝のもとなり
落ちてくる水の様子などが風情のある滝壺のほとりのである。

あかずくちをし、と言ふかいなき法師、童べも涙を落としあへり
もう行ってしまわれたのかと、そこらの法師や幼い子供さえも涙を浮かべている。

まして内には、年老いたる尼君たちなど、
まして、柴の庵のうちでは、年老いた尼君たちなどは、

まださらにかかる人の御有様を見ざりつれば、この世のものともおぼえたまはず
「年経れども、ここまでの方をお見かけすることがなかったので、この世の方とはとても思えない」

と聞こえあへり
などと話し合っている。

僧都も、
僧都も

あはれ、何の契りにて、かかる御様ながら、いとむつかしき日本の末の世に生まれたまへらむ、と見るに、いとなむ悲しき
「いかなる宿縁で、このように仏のような方がこの難しい末法の日本にお生まれになたのでしょう、と考えてみると、悲しい気持ちになります」

とて目おし拭ひたまふ
と言って涙を拭われる。

この若君、幼心地に、めでたき人かなと見たまひて、宮の御有様よりも、まさりたまへるかな、などのたまふ
この若君は、幼心地にすばらしい方だなとご覧になって、「父宮よりもすごい方なのね」などとおっしゃる。

さらば、かの人の御子になりておはしませよ、と聞こゆれば、うちうなづきて、いとようありなむ、と思したり
「それならば、あの方の御子になってくださいませよ」と申し上げると頷いて「それもいいことだな」と思っている。

雛遊びにも、ゑ描きたまふにも、源氏の君とつくり出でて、きよらなる衣着せ、かしづきたまふ
お人形遊びの時にも、お絵かきをされる時にも、これは源氏の君とお造りになって、きよらかな衣装を差し上げて大切になさっている。





2011年9月5日月曜日

問はぬはつらきものにやあらむ

君はまづ内裏(うち)に参りたまひて、日ごろの御物語など聞こえたまふ
源氏はまず宮中に参内して、帝にここ数日間の出来事をご報告申し上げた。

いといたう衰へにけりとて、ゆゆしと思しめしたり
源氏がひどく衰弱してしまっている様子なのをご覧になり、帝はただごとではないとお思いである。

聖の尊かりけることなど問はせたまふ
帝は、聖の法力の素晴らしさなどをお尋ねになり、

詳しく奏したまへば、
源氏が詳しく奏上されると、

阿闍梨(あざり)などにもなるべきものにこそあなれ、行ひの労はつもりて、公にしろしめされざりけること
「阿闍梨などに匹敵する尊い方でありながら、修行が進んでいたのが伝えられてなかったのでしょう」

とらうたがりのたまはせけり
と聖の労をねぎらわれる。

大殿、参りあひたまひて、
丁度其の頃合いに、左大臣も参内していらして、

御迎へにもと思ひたまへつれど、忍びたる御歩きにいかが、と思ひ憚りてなむ、のどやかに一二日うち休みたまへ
「お迎えにあがろうとも思ったのですが、お忍びのお出かけにいかがなものかと、ご遠慮いたしまして、今日明日はゆっくりとこちらへお泊りくださいませ」

と申しまたへば、さしも思さねど、ひかされてまかでたまふ
と言われてしまうと、それとも思っていなくてもつい情にひかされて、左大臣の屋敷へおいでになる。

わが御車に乗せたてまつりたまうて、みづからはひき入れ奉れり
源氏を左大臣家の車にお乗せ致して、ご自身は後方にお座りになられる。

もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ、さすがに心苦しく思しける
大切にされているお心遣いがありがたくもあり、さすがに心苦しく感じられる。

殿にも、おはしますらむと心づかいしたまひて、久しく見たまはぬほど、いとど玉のうてなに磨きしつらひ、よろづをととのへたまへり
左大臣邸でも、君がおいでになるように心遣いがされて、しばらくぶりに訪れてみると玉の御殿と磨きあげられて、万事が整えられている。

女君、例の、はひ隠れて、とみにも出でたまはぬを、大臣せちに聞こえたまひて、からうじて渡りたまへり
女君は、いつものようにどこかに隠れていてすぐにもお出ましになるということではなく、左大臣にせかされてやっとおいでになる。

ただ絵に描きたるものの姫君のやうに、し据ゑられてうちみじろきたまふことも難く、うるはしうてものしたまへば、
ただ、絵に描いてある物語の中の姫君のように、ご座所に据えられてみじろぎすることもできない程きちんとなさっているので、

思ふこともうちかすめ、山路の物語をも聞こえむ、言ふかひありて、をかしういらへたまはばこそあはれならめ、
「思っていることや、山寺でのことをお話ししたいものですが、話す甲斐があって気の利いたお返事があればこそでしょう。

世には心もとけず、うとく恥づかしきものに思して、
まったく打ち解けて頂けず、わたくしをよそよそしく気詰まりな者のように思いなされて、

年の重なるに添へて、御心の隔てもまさるを、いと苦しく思はずに、
年を重ねるにしたがい、心の隔ても深くなっていくところを、どうか堅苦しくなさらずに、

時々は、世の常なる御気色を見ばや
時には、普段通りのご気分になられたらいかがでしょうか?

たへがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに問いたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほ恨めしう
絶えがたい程の病を患っていた事さえも、具合はいかがか、とさえもお尋ねいただけないというのは、いつものことだけれども、やはり残念です」

と聞こえたまふ
と申し上げる。

からうじて
やっとのことで口を開き

問はぬはつらきものにやあらむ
「尋ねないのは薄情なことでしょうか?」
「お訪ねにならないのは薄情だからですか?」

と、尻目に見おこせたまへるまみ、いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御かたちなり
と、目線だけをよこす眼差しは、たいへん気高く、可愛らしいお顔立ちである。

まれまれは、あさましの御ことや
「たまにおっしゃられるのは、びっくりするようなお言葉ですね」

問はぬなどいふ際は、異にこそはべるなれ、心憂くものたまひなすかな
「訪ねる訪ねないという間柄は、夫婦の仲とは異なる仲合いでのうたにあるものながら、情けない言いようでございます」

世とともにはしたなき御もてなしを、もし思しなほるをりもやと、とざまかうざまにこころみきこゆるほど、いとど思ほしうとむなめりかし
「ずっとそっけなくされて、いつかはよくなると期待もしていましたので、あれこれと試してみたのですが、それがかえって疎ましいのですね」

よしや、命だに
「せめて、子供だけでもほしいものですね」

とて、夜の御座(おまし)に入りたまひぬ
と言って、寝所に入られる。

女君、ふとも入りたまはず
女君は、すぐにも入られない。

聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、とかう世を思し乱るること多かり
誘うのもわずらわしく、ため息をついて横になられているのだが、どうしようもなく、うとうとしながら、とかく心が乱れることが多い。

この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを、
この紫の若草がこれから生い育っていく様子がやはり気にかかって、

似げないほどと思へりしも道理ぞかし、言い寄りがたきことにもあるかな
まだ幼すぎると思われるのも当然だし、こちらからも言い出しにくいのも確かではあるが、

いかに構へて、ただ心安く迎へ取りて、明け暮れの慰めに見む
なんとかして、すんなりと迎え取って、朝夕とお見かけしたら心が和むことだろう。

兵部卿の宮はいとあてになまめいたまへれど、にほひやかになどもあらぬを、いかでかの一族におぼえたまふらむ
兵部卿の宮は大変上品でしとやかでいらっしゃるけれど、あでやかに人目を引くようなところはないのに、どうして親を通り越して叔母様にそっくりなのだろう

ひとつ后腹なればにや
先帝の4の宮でいらっしゃる藤壺とその兄の兵部卿の宮は、同じ后腹のご兄妹であるのだから、血のつながりによるのだろう

など思す
などとお思いになる。

ゆかりいと睦ましきに、いかでか、と深うおぼゆ
縁故のゆかりも、とても懐かしいもので、なんとかして、と深く心に思うのであった。



2011年9月4日日曜日

三月(みつき)になりたまへば、いとしるきほどにて

藤壺の宮、なやみたまふことありて、まかでたまへり
藤壺の宮は、ご病気をされて、宮中を退出されていた。

上のおぼつかながり嘆ききこえたまふ御気色も、いといとほしう見たてまつりながら、
帝がご心配されているご様子も並々でなく、いたわしくお見受けしながらも、

かかるをりだにと、心もあくがれまどひて、
このような折にでもないと・・・と、魂が肉体を離れたように彷徨い迷って、

いづくにもいづくにも参うでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、
あちらこちらの通うべき処はどこともお伺いせずに、宮中でも里にいても昼間はぼんやりとだけしていて、

暮るれば、王命婦を責め歩きたまふ
日が暮れると、藤壺の女官の王命婦を追いかけ廻して密会の取次ぎをせまる。

いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞわびしきや
いったいどうやって手引きをしたのだろうか、不義の密通を果たして、やっとのことでお目にかかることができたのにもかかわらず現実のこととは思えない、ただわびしいのである。

宮も、あさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、
宮様も、あさましかったありしの逢瀬の時を思い出すことでさえ、寝ても覚めても心から離れないことであったのに、

さてだにやみなむ、と深う思したるに、いと憂くて、いみじき御気色なるものから、
それ1回きりで終わりにしよう、と深く心に思い至っていたのに情けなくて、たいへん硬いご様子ではあるが、

なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを
それでも親しみがあって可愛らしく、かといって打ち解けてはいなくて凛として、気高く品のある振る舞いなどが、やはり並みの方ではいらっしゃらないのである。

などか、なのめなることだにうちまじりたまはざりけむ、とつらうさへぞおぼさる
どうして、ほんの少しの欠点すらおありにならにのだろう、と萎えてしまうほどである。

何事をかは聞こえ尽くしたまはむ
心の程を言い尽くすどんな言葉があるのだろうか、

くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましうなかなかなり
暗いという名がついた「くらぶの山」であれば、夜も明けないのだろうが、あいにくの夜が短い季節なので、束の間の逢瀬はかえって逢うほうが辛いくらいである。

見てもまたあふよまれなる夢のうちに、やがて紛るるわが身ともがな
今日逢えて、またいつ逢えるかわからない、この夢のような時間のなかで、この夢だけを大事に思っていくのです。-源氏-

とむせかへりたまふ様も、さすがにいみじければ、
と泣いていらっしゃるのをみると、さすがに可哀想で、

世語りに人や伝へむたぐひなく憂き身を醒めぬ夢になしても
世間に語り伝えられてしまうようなことも、と思うと気が沈むもので、醒めることのない苦しみでございます。-藤壺-

思し乱れたる様も、いとことわりにかたじけなし
思い乱れるのももっともなことで、申し訳ない程のご心境の様子ある。

命婦の君ぞ、御直衣(なほし)などは、かき集め持て来たる
王命婦が君の直衣などを集めて持ってくる。

殿におはして、泣き寝に臥し暮らしたまひつ
その日は一日中二条院に過ごして、泣きながら寝所に臥していらっしゃった。

御ふみなども、例の、ご覧じ入れぬよしのみあれば、常のことながらもつらう、いみじう思しほれて、
藤壺に差し上げるお手紙は、ご覧にならない旨の返信が命婦からあるばかりで、それは前からのことではありながらも辛く、何も考えられずにぼうっとして、

内裏へも参らで、二三日(ふつかみか)籠もりおはすれば、また、いかなるにかと、御心動かせたまふべかめるも、恐ろしうのみおぼえたまふ
宮中にも行かずに、二三日ずっと二条院に籠もっているので、どうしたことか、と帝が気に掛けはしないかと考えると恐ろしいばかりである。

宮も、なほいと心憂き身なりけり、と思し嘆くに、なやましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき遣いしきれど、思しも立たず
宮様も、やはり、とても情けないわが身であった、と後悔されて、体調も更に悪くなり、早く宮中へおもどり頂くようにとの言伝てを持ってお使いの方が来るけれども、参内はまったく思い立たず、

まことに、御地、例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにか、と人知れず思すこともありければ心憂く、
実際に、気分がいつもと違うのはどうしたことなのか、と人には知られずに自分だけで思い到ることがあったので、益々憂鬱になり、

いかならむとのみ思し乱る
この先どうなることか、とばかりご心配になられている。

暑きほどは、いとど起きも上がりたまはず、
夏の暑い日には、全く起き上がることもおできにならず、

三月(みつき)になりたまへば、いとしるきほどにて、人々見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世のほど心憂し
3ヶ月にもなれば兆候がはっきりとあるので、女房たちが見とがめるのにつけても、思いもかけない宿世がうらめしく感じられるのであった。

人は思ひよらねことなれば、この月まで奏せさせたまはざりけること、と驚ききこゆ
そうとも知らない周りの者たちは、「この月まで、帝にご報告なさらなかったというのは、」と驚いて申し上げている。

わが御心(みこころ)ひとつには、しるう思し分くこともありけり
しかし、ご自身の胸の内にはっきりと分かっていることもあるのだ。

御湯殿(おんゆどの)などにも親しう仕うまつりて、何事の御気色をもしるく見たてまつり知れる、御乳母子の弁、王名婦などぞ、
ご入浴の際などにも近くでお仕えしていて、ほんの少しの変化でも見過ごすことのない、藤壺の乳母の子である弁という女房や、王命婦などは、

あやしと思へど、かたみに言ひあはすべきにあらねば、
おかしいと思うけれども、二人の間でさえもお互いに言いかわすことではないので、

なほ逃れがたかりける御宿世をぞ、命婦はあさましと思ふ
更に深みにはまってしまった藤壺の宿世の程に、王命婦はおそれおののいているのである。

内裏には御物の怪の紛れにて、とみに気色なうおはしましけるやうにぞ奏しけむかし
帝には物の怪のせいで、すぐには妊娠の兆候が現れなかったというように報告をしたようである。

見る人もさのみ思ひけり
周囲の人々も、実際にそのように思っていたのである。

いとどあはれに限りなう思されて、
帝は、大変ご心配をされて、更に愛情を限りなくそそがれ、

御遣いなどの隙なきもそら恐ろしう、ものを思すこと隙なし
お遣いなどを頻繁におよこしになるので、それにつけても恐ろしく、心がやすまる隙がないのである

中将の君も、おどろおどろしう、さま異なる夢を見たまひて、
源氏の中将も、仰々しくいつもとは様変わりな夢を見たので、

合わする者を召して問はせたまへば、及びなう思しもかけぬ筋のことを合はせけり
夢合わせが出来る者を召喚して、お尋ねになると、思いもかけない内容のことが語られたのだった。

その中に違い目ありて、つつしませたまふべきことなむはべる、と言ふに、
「運命の糸のもつれがあって、ご謹慎するべき相がございます」と言うので、

わづらはしくおぼえて、
これは困ったことになったことになった、と感じ入り、

みづからの夢にはあらず、人の御ことを語るなり、この夢合ふまで、また人にまねぶな
「わたくしの夢ではなく、他の方の夢です。この夢のことが起きる時まで他言はないように」

とのたまひて、心のうちには、いかなることならむと思しわたるに、
とおっしゃり、心の中ではどういったことなのだろうか、と考えつづけていたところに、

この女宮の御こと聞きたまひて、もしもさるやうもや、と思し合わせたまふに、
藤壺懐妊のことをお聞きになって、もしや夢の合わせの出来事か、と思い当たることをお考えになる。

いとどしくいみじき言の葉尽くし聞こえたまへど、
切に言葉を尽くしたお手紙を差し上げるのであるが、

王命婦も思ふに、いとむくつけう、わづらはしさまさりて、さらにたばかるべき方なし
王命婦もこのことを考えるとうす気味悪く、わずらわしさが増して、更なる逢瀬の手引きなどということは到底無理なことであった、

はかなきひとくだりの御返りのたまさかなりしも絶え果てにけり
わずか一行のお返事をたまさかに頂くようなこともすっかり絶えてしまうのであった。