2011年9月8日木曜日

あはれなる人を見つるかな

あはれなる人を見つるかな
「なんて心ゆかしい人を見たんだろう」

かかれば、この好き者どもは、かかる歩きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり
「こういうことがあるから、世の中の好き者たちは、こうしてそぞろ歩きばかりをして、意外に良い人を見つけたりするんだろう」

たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよ、とをかしう思す
「たまさかに出歩いたのでさえ、これだけ思いのほかにすばらしい人を見つけたのだから」と興味深く感慨にふける。

さても、いとうつくしかりつる稚児かな、
「それにしても、なんとも可愛らしい子だった」

何人ならむ、
「どういう由来の人なのだろう」

かの人の御かはりに明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心、深うつきぬ
「お慕いする、かの宮様にお会いできないかわりに、朝にも夕にも心が慰められるよう、屋敷においておきたいものだ」という思いが心の深いところにまで至るのであった。

うち臥したまへるに、僧都の御弟子、惟光を呼び出でさす
先に帰って休んでいると、僧都のお弟子の方が来て、惟光を呼び出した。

ほどなき所なれば、君もやがて聞きたまふ
それほど離れていないので、僧都の口上を伝えている声が直接源氏にも聞こえてくる。

よきりおはしましけるよし、ただ今なむ人申すに、驚きながら、
「お立ち寄りになられたことを、たった今聞きつけまして、驚いておりますが、

さぶらふべきを、なにがしこの寺に籠もりはべりとはしろしめしながら、忍びさせたまへるを、うれはしく思ひたまへてなむ
お仕えするべきものを、拙者がこの寺に籠もるとご存知であるはずながら、お知らせいただけず残念でございます」

草の御むしろもこの坊にこそまうけはべるべけれ、いと本意なきこと
「ご座所もわたくしのところで用意するべきでしたのに、申し訳がなく、」

と申したまへり
と弟子のものが口上をお伝えした。

すなはち僧都参りたまへり
すぐに僧都がやってくる。

法師なれどいと心恥づかしく、人柄もやむごとなく世に思はれたまへる人なれば、軽々しき御有様をはしたなう思す
法師ではあるが、大変立派な感じで、人柄もよろしいと世に評判の方なので、ご自分が軽々しい忍び歩きの身なりでは、きまりわるく感じられてしまう。

かく籠もれる程の御物語など聞こえたまひて、同じ柴の庵なれど、すこし涼しき水の流れもご覧ぜさせむ、とせちに聞こえたまへば、
この頃の山籠もりの間のお話などをされた後に、「同じ柴垣の庵ですが、すこし涼しい感じに鑓水などを施しておりますので、是非ご覧頂きたい、」と熱心にお誘いになるので、

かのまだ見ぬ人々にことごとしう言ひ聞かせつるをつつましう思せど、あはれなりつる有様もいぶかしくておはしぬ
先程の垣間見の時に、家の人々にぎょうぎょうしく言い聞かせていたことで遠慮したくもなったのだが、あわれに、はかない少女も心配であったので、その庵においでになる。

げに、いとこころ殊によしありて、同じ木草をも植ゑなしたまへり
まことに、殊に由緒のある風情で、同じ木や草を植えてあっても違った様子に見える。

月もなき頃なれば、遣り水に篝火ともし、灯籠などもまゐりたり
新月の頃で、真っ暗やみのなか、遣り水に篝火がともされ、灯籠なども近くに置かれている。

南面(おもて)いときよげにしつらひたまへり
南に面した部屋が綺麗にしつらえられている。

空薫物いとこころにくくかをり出で、名香の香など匂ひ満ちたるに、君の御追い風いとことなれば
薫香がそこはかとなく香りいでて、線香が薫香にまじりあい、部屋中に満ち満ちている中に、源氏のお召し物からの香りも追い風となり、館の中まで漂っていくと、

内の人々も心づかひすべかめり
奥にいる人々も、心を尽くしているようである。

僧都、世の常なき御物語り、後の世のことなど聞こえ知らせたまふ
僧都は、世の無常や、輪廻転生によりめぐり来る世のことなどを説法される。

わが罪のほど恐ろしう、あぢきなきことに心を占めて、生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり
ご自分の罪のほどが恐ろしく感じられ、思っても仕方がないどうしようもなく切ない気持ちが心を占領して、生きている限りこのことを思い悩むのかもしれない、

まして後の世のいみじかるべき、思し続けて、
まして生まれ変わった時のことが恐ろしく感じられると思うと、

かうやうなる住まひもせまほしうおぼえたまふものから、
いっそのこと、このような隠遁の暮らしもしてみたく思うそのそばから、

昼の面影心にかかりて恋しければ、
昼間見た面影が心にかかり、ゆかしくもあるので、

ここにものしたまふは誰にか、たずね聞こえまほしき夢を見たまへしかな、今日なむ思ひあわせつる、
「ここにいらっしゃるのは誰でしょう、たずねてみたいという夢をみたのですが、今日その夢とわかりました」

と聞こえたまへば、
と申し上げると、

うち笑いて、うちつけなる御夢語りにぞはべるなる。たずねさせたまひても御心劣りせさせたまひぬべし
笑みを浮かべて、「突然の夢語りですね、おたずねになっても、夢は褪せてしまわれるだけでしょうに」

故あぜちの大納言は世になくなりて久しくなりはべりぬれば、えしろしめさじかし
「あぜちの大納言は、亡くなってから随分な年月がたちますので、ご存知でないはずです」

その北の方なむ、なにがしが妹にはべる
「その側室がわたくしの妹でございます」

かのあぜち隠れて後、世を背きてはべるが、この頃わづらふことはべるにより、
「夫が亡くなりましたものですから、妹も出家をして、この頃病を患うことがありましたものですから、

かく京にもまかでねば、頼もし所に籠もりてものしはべるなり、
わたくしがこのように京にも行かずにいるので、祈祷などの際にもと、頼り所としてこのような山の中に籠もっているのでございます」

と聞こえたまふ
と申し上げる。

かの大納言の御娘、ものしたまふと聞きたまへしは、すきずきしき方にはあらで、まめやかに聞こゆるなり
「その大納言に娘がいらっしゃると聞きましたが、消して浮ついた気持ちからではなく、まじめなお話しでございます」

と推しあてにのたまへば、
とあて推量にたずねると、

娘、ただ一人はべりし、亡せてこの十余年にやなりはべりぬらむ
「娘はただ一人おりましたが、もう亡くなってから十年余りになりますでしょうか、」

故大納言、内裏に奉らむなど、かしこういつきはべりしを、その本意のごとくもものしはべらで、過ぎはべりにしかば、ただこの尼君ひとりもてあつかひはべりしほどに、
「亡くなった大納言は、この娘を入内させるつもりで、相当の秘蔵の娘としてお育てしていたのですが、思いのようにはいかないままに亡くなってしまい、ただこの尼君一人でお育てしていたところに、

いかなる人のしわざにか、兵部卿の宮なむ、忍びてかたらひつきたまへりけるを、
誰の仕業かわかりませんが、兵部卿の宮が忍んで通ってくるようになりまして、

もとの北の方、やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、
兵部郷の宮のそもそもの側室のお方は、たいへんなご身分の方でして、そのために心が休まらないことも多くあり、

明け暮れものを思ひてなむ亡くなりはべりにし
娘は、明け暮れのもの思いの末に、ついに亡くなってしまったのです」

もの思ひい病づくものと、目に近く見たまへし、など申したまふ
「もの思いが原因で病になるものだということを、間近に経験したものでございます」

さらば、その子なりけり、と思しあはせつ
『それならば、その娘の子供なのか、』と思い合わせる。

皇子(みこ)の御筋にて、かの人にも通ひきこえたるにや、といとどあはれに見まほしく、
「兵部卿の宮は、藤壺とは同腹の兄にあたる方であるので、その娘だというのなら皇族の血筋、それだからあの方の面影をも感じられたのであろう、」と更に心が惹かれ、無性に会ってみたくなる。

人の程もあてにをかしくう、なかなかのさかしら心なく、うち語らひて心のままに教へおほし立ててみばや
雰囲気も上品で洗練されていて、中途半端に利口ぶるところがなく、心をうちとけて自分の思うままに教育をして、理想の女性に仕立ててみたいと思う。

いとあはれにものしたまふことかな、
「それは大変なことだったのですね。」

それは、とどめたまふ形見もなきか、
「その方には、遺された忘れ形見はなかったのですか?」

と幼かりつる行く方の、なほたしかに知らまほしくて、問ひたまへば、
と幼く見えた少女の境遇を更に詳しく知りたくて、お尋ねになると、

亡くなりはべりしほどにこそはべりしか、
「亡くなる前に、一人子を宿しました」

それも女にてぞ
 「生まれたのは女の子です」

それにつけて、もの思ひの催しになむ、齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる
「それにつけても、心配の種になっているようで、老年となってはその子の行く末を最後まで見てやることができないと嘆いているようでございます」

と聞こえたまふ
と申し上げる。

さればよ、と思さる
「やはりそうだったのか、」とお思いになる。

あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく聞こえたまひてむや
「おかしな話しではありますが、その幼子の後見人として、私をお考えいただけませんでしょうか?」

思う心ありて、行きかかづらふ方もはべりながら、世に心の染まぬにやあらむ、一人住みにてのみなむ
「思うことがありまして、縁あり通うところもありますが、あまり夫婦の仲がしっくりといかないのか、一人暮らしばかりの毎日で、」

まだ似げなきほどと、常の人に思しなずらへて、はしたなくや
「まだ年がいかないからと常識的にお考えになり、きまり悪く感じられるでしょうか?」

などのたまへば、
などとおっしゃれば、

いとうれしかるべき仰せごとなるを、まだ無下にいはけなきほどにはべるめれば、戯れいてもご覧じがたくや
「大変慶ぶべき仰せごとですが、まだまったくの子供でございますので、戯れといたしてもご覧いただくのは難しいのではないでしょうか、」

そもそも女人は人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば、くはしくはえとり申さず
「そもそも、女は世話をされてこそ成長できるものですので、わたくしからはっきりとはお返事申しあげようがございません」

かのおばに語らひはべりて聞こえさせむ
「この子の祖母からお返事を差し上げましょう」

と、すくよかに言ひて、ものごはき様したまへれば、若き御心に恥づかしくて、えよくも聞こえたまはず
と、淡々と言いなして、かたくなな様子であるので、若い源氏には恥ずかしく感じられ、それ以上はうまいように申し上げることができない。

阿弥陀仏ものしたまふ堂に、することはべる頃になむ、初夜いまだ勤めはべらず、過ぐしてさぶらはむ、とてのぼりたまふ
「阿弥陀仏のお堂での読経の時間で、初夜の勤めがありますので、済ませてまいります」と言って堂におのぼりになった。