2011年9月1日木曜日

秋の夕べはまして

秋の夕べはまして、心の暇なく思し乱るる人の御あたりに心をかけて、あながちなる、ゆかりも尋ねまほしき心もまさりたまふなるべし
秋の夕べは一層と、いつも暇なく思い続けている御方に心が奪われて、無理やりにでも、藤壺と深いゆかりのある少女を尋ねたいとの思いが募っていく。

消えむ空なき、とありし夕べ、思し出でられて、
消えようにも消えられない、と尼君がお詠みになられていた山寺での夕べの情景が思い浮かび、

恋しくも、また、見ば劣りやせむ、とさすがにあやふし
恋しくもあり、また、実際に手にいれてみたら見劣りはしないかと、さすがに心配でもある。

手に摘みて、いつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草
手につんで、いつの日かは必ず見てみよう、紫色の藤の花と根がつながっている野辺の若草

神無月に朱雀院の行幸あるべし
十月に、朱雀にある上皇御所へ、帝が外出になるご予定がある。

舞人(まひびと)など、やむごとなき家の子ども、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)どもなども、
舞楽の舞い手などには、高貴な出のご子息たちなどが選ばれるのだが、上達部や殿上人などでも、

その方につきづきしきは、みな選らせたまへれば、皇子たち、大臣よりはじめて、とりどりの才ども習ひたまふ
その方面に才のあるものは皆選ばれたので、皇子、大臣よりはじめて様々な舞芸を練習されている。

いとまなし
暇のない頃である。

山里人にも、久しく訪れたまはざりけるを思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、
尼君には、山里へ帰られてから久しくお便りをせずにいたことを思い出し、遠路はるばると使者を遣わしたところ、

僧都の返り言のみあり
僧都から辺事があった。

経ちぬる月の二十日(はつか)のほどになむ、つひにむなしく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる
先月、二十日の頃についに亡き人となりまして、世の中の道理とはいえ悲しくて仕方ありません。

などあるを見たまふに、世の中のはかなさもあはれに、
などと書かれてあるのを見て、人の世のはかなさを感じ、

うしろめたげに思へりし人もいかならむ、幼きほどに恋ひやすらむ
「遺されたあの方はどうしているだろうか、幼いゆえに恋しがっているのではないだろうか、」

故御息所に後れたてまつりし、などはかばかしからねど、思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり
母の御息所が亡くなった時、ぼんやりとだけ覚えていることなどを思い出して、京の屋敷へ丁寧なとぶらいの使者を遣わした。

少納言、ゆゑなからず、御返りなど聞こえたり
少納言の乳母が、なかなかに品のあるお返事を寄越してきた。