暁の頃になると、法華堂にて、懺悔経をあげる声が山おろしの風にのって聞こえてくる。
いと尊く、滝の音に響きあひたり
読経の声が非常に尊くて、滝の音と響きあっている。
吹き迷う深山おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな
「吹きすさぶ深山おろしの風に夢から覚めて、滝の音を聞いたときに感涙の涙が催されました。」
さしぐみに袖ぬらしける山水にすめる心は騒ぎやはする
「不意においでになって、涙を誘った山水の有り様は、ここに住んでいる者にとっては心を騒がすようなものではございません」
耳馴れはべりにけりや
「耳馴れてしまいました。」
明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥ども、そこはかとなう囀りあひたり
明けてゆく空は、そこら辺りが見えない程に霞みがかかっていて、山鳥がどこに居るとも知らず囀り合っている。
名も知らぬ木草の花どもも、いろいろに散りまじり、錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くもめづらしく見たまふに、なやましさも紛れはてぬ
名前も知らない木や草に花が咲いていて、様々な色合いが散りまじって錦を敷いたように見える上を鹿が歩いているのは、見るももめずらしく、気分のすぐれないのもすっかり忘れてしまう。
聖、動きもえせねど、とかうして護身参らせたまふ
聖は、動くのもままならない様子であるけれど、どうにかして護身の修法を源氏に施してさしあげる。
いといたうすきひがめるも、あはれに功づきて、陀羅尼読みたり
枯れた声が抜けた歯の隙間から発音されているのも、修業の年功が感じられる様子で、陀羅尼を読んでいた。
御迎への人々参りて、おこりたまへるよろこび聞こえ、内裏よりも御とぶらひあり
京よりお迎えの人々が参上して、病気平癒ののお祝いを申し上げ、帝からもお見舞いがある。
僧都、世に見えぬさまの御くだもの、なにくれと、谷の底まで掘り出で、いとなみきこえたまふ
僧都は京では見られないような珍しい果物を谷の底まで求め、掘り出してきて様々に饗応される。
今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと、なかなかにも思ひたまへらるべきかな、など聞こえたまひて、大神酒(おほみき)参りたまふ
「今年ばかりは山に籠もるという誓いもありまして、お見送りもできないのがかえって残念でございます。」などと申し上げながら、お神酒を差し上げなさる。
山水に心とまりはべりぬれど、内裏よりおぼつかながらせたまへるも、かしこければなむ、いまこの花のをり過ぐさず参り来む
「山水の素晴らしい風景に心魅かれておりますが、帝からも心配いただいているのも畏れ多く、今のこの花の時期を見過ごさずにまた参拝いたしましよう。」
宮人に行きて語らむ山桜、風より先に来ても見るべく
「宮中の人に、帰ってから伝えよう、山桜を散らす風が吹くよりも先に来て見るべきと、」
とのたまふ御もてなし、声づかひさへ目もあやなるに、
と仰せになるご様子や声づかいがまばゆく見える程であるので、
優曇華の花待ち得たる心地して、深山桜に目こそうつらね
「このたびお会いできたことは、三千年に一度開花するという優曇華の花が咲くのを待ち得たような心地でございまして、深山桜には目移りも致しません」
と聞こえたまへば、ほほえみて、
と申し上げると、源氏はほほ笑んで、
時ありて、ひとたび開くなるは、かたかなるものを
「時がきて、一回きり開く花と聞いていますが、それこそ見るのは大変でしょう」
とのたまふ
とおっしゃる。
聖、御土器(おんかはらけ)賜はりて、
聖は、素焼きの杯を一杯飲み、
奥山の松のとぼそをまれにあけてまだ見ぬ花の顔を見るかな
「奥山の松の扉を、まれにあけてみて、一度も見たことのない花を見たのですよね。」
とうち泣きて見たてまつる
と感極まり泣きながらお顔を拝見している。
内に僧都入りたまひて、かの聞こえたまひしこと、まねび聞こえたまへど、
庵の奥に、僧都はお入りになり、昨夜、源氏が仰せになられたことをそのまま繰り返してお話したのだが、
ともかくも、ただ今は聞こえむ方なし、もし御こころざしあらば、いま四年五年(よとせいつとせ)を過ぐしてこそは、ともかくも
尼君は、「ともかくも、ただ今は申し上げようがございません。もしお心があるのなら、あと4~5年たってからまたということであればともかくも」
とのたまへば、
とおっしゃるので、
さなむ、と同じ様にのみあるを本意なしと思す
そういったことで、まったく、とりつくしまもなくおふのを、残念に思う。
御消息、僧都のもとなる小さき童して、
お手紙を、僧都の家の小さな子供をお使いにして
夕まぐれ、ほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわづらふ
「夕暮れに紛れて、ほのかに咲く赤い花の色を見てからは、霞がたっているこの場所を経ちがたく思います」
御返し
お返事に
まことにや花のあたりは立ち憂きと、霞むる空のけしきをも見む
「本当にこの花の場所を経ちがたいのかどうか、霞んでよく見えない天気の移り変わりの様なものではないでしょうか」
と、よしある手のいとあてなるを、うちすて書いたまへり
と、達筆で上品な筆使いを無造作にしなしている。
御車に奉るほど、大殿より、
お車にお乗りになられる時に、左大臣邸より、
いづちともなくておはしましにけること
「どこへともなくお出かけになられて、」
とて、御迎への人々、君たちなど、あまた参りたまへり
と、お迎えの人々、公達など、大勢おいでになった。
頭中将、左中弁、さらぬ君たちも慕ひきこえて、
左大臣家の長男である頭中将、その異腹の弟である左中弁などみんなが源氏を慕い、
かうやうの御供には、つかうまつりはべらむ、と思ひたまふるを、あさましくおくらさせたたまへること
「このようなお供にはお仕えさせていただくつもりでいましたのに、意外にも置いてかれましたことを、」
と恨みきこえて、
と愚痴を申し上げ、
いといみじき花の陰に、しばしもやすらはず、たち帰りはべらむは、飽かぬわざかな
「このような素晴らしい花の盛りには、すこしでもゆっくりしてから帰らないと後悔してしまいますね」
とのたまふ
とお誘いになる。
岩隠れの苔の上に並み居て、土器(かはらけ)参る
岩の陰に苔が敷かれている上に居並んで、酒宴が供される。
落ち来る水の様など、ゆゑある滝のもとなり
落ちてくる水の様子などが風情のある滝壺のほとりのである。
あかずくちをし、と言ふかいなき法師、童べも涙を落としあへり
もう行ってしまわれたのかと、そこらの法師や幼い子供さえも涙を浮かべている。
まして内には、年老いたる尼君たちなど、
まして、柴の庵のうちでは、年老いた尼君たちなどは、
まださらにかかる人の御有様を見ざりつれば、この世のものともおぼえたまはず
「年経れども、ここまでの方をお見かけすることがなかったので、この世の方とはとても思えない」
と聞こえあへり
などと話し合っている。
僧都も、
僧都も
あはれ、何の契りにて、かかる御様ながら、いとむつかしき日本の末の世に生まれたまへらむ、と見るに、いとなむ悲しき
「いかなる宿縁で、このように仏のような方がこの難しい末法の日本にお生まれになたのでしょう、と考えてみると、悲しい気持ちになります」
とて目おし拭ひたまふ
と言って涙を拭われる。
この若君、幼心地に、めでたき人かなと見たまひて、宮の御有様よりも、まさりたまへるかな、などのたまふ
この若君は、幼心地にすばらしい方だなとご覧になって、「父宮よりもすごい方なのね」などとおっしゃる。
さらば、かの人の御子になりておはしませよ、と聞こゆれば、うちうなづきて、いとようありなむ、と思したり
「それならば、あの方の御子になってくださいませよ」と申し上げると頷いて「それもいいことだな」と思っている。
雛遊びにも、ゑ描きたまふにも、源氏の君とつくり出でて、きよらなる衣着せ、かしづきたまふ
お人形遊びの時にも、お絵かきをされる時にも、これは源氏の君とお造りになって、きよらかな衣装を差し上げて大切になさっている。