2011年9月10日土曜日

わらはやみにわづらひたまひて

わらはやみにわづらひたまひて、よろづにまじない、加持などまゐらせたまへどしるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、
隔日または連日、時を定めて発熱する当時流行の病にかかり、幾種もの祈祷、陀羅尼(だらに)などのご祈祷をされましたが、効果が見えず何度も繰り返すようになり、

ある人、北山になむ、なにがし寺といふ所にかしこき行ひ人はべる、
ある人が、「京都の北山のなにがし寺というところに、腕のいい祈祷師がおり、

去年(こぞ)の夏も世におこりて、人々まじなひ、わづらひしをやがてとどむるたぐひあまたはべりき
去年の夏も流行りがありましたが、人々がこの方の祈祷を受けて、すぐさま治ってしまったというようなことが多くございました。

ししこらかしつる時はうたてはべるを、疾くこそこころみさせたまはめ、
病をこじらせると面倒ですから、すぐにでもご祈祷をお受けくださいませ、」

など聞こゆれば、召しに遣はしたるに
などと申し上げるので、参内頂けるように使者を遣わしたところ、

老いかがまりて室(むろ)の外(と)にもまかでず、と申したれば
「老いて腰が曲がって外出もままなりません、」と返事があると、

いかがはせむ、いと忍びてものせん、とのたまひて、御供に睦ましき四五人ばかりして、まだ暁におはす
源氏、「どうしようか、忍びで出かけよう」と仰せになり、供に親しい者4~5人のみお連れになり、夜明け前の暗がりの中お出かけになられる。

やや深う入る所なりけり
北山の、やや深く入った所である。

弥生の晦日(つごもり)なれば、京の花、盛りはみな過ぎにけり
三月の末日のことなので、都の花は散り始めている。

山の桜はまだ盛りにて入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば
山の桜はこれから満開を迎える時期で、奥に入っていくにつれて、だんだんとあたりの様子が、霞がかかり、なんとも趣きがあるように見えてくるので、

かかる有様もならひたまはず、ところせき御身にてめづらしう思されけり
こういった景色も見慣れなく、このように出歩くのも不自由な御身分なので、すべてが目新しく新鮮に感じられる。

寺の様もいとあはれなり
山寺は、なんとも趣がある。

峰高く、深き岩のうちにぞ、聖入りゐたりける
そこから更に峰がそびえ立ったところ、奥まった岩の内側に聖がお座りになっている。

登りたまひて、誰とも知らせたまはず、いといたうやつれたまへれど、しるき御様なれば
源氏、そこまで登って行き、誰とも名乗らず、たいへん質素な感じに身をやつしていらしても、きわだった印象であるので、

あなかしこや、一日(ひとひ)召しはべりしにやおはしますらむ
「まあ、なんとしたことでしょうか、先日、お申し付け頂いた方であられますね、

今はこの世のことを思ひたまへねば、験方の行ひも棄て忘れてはべるを、いかで、かうおはしましつらむ
今は俗世を離れておりますので、まじないの行いも忘れてしまった程でございますのに、どうして、こんな処までおいで頂けたのでしょうか?」

と驚き騒ぎ、うち笑みつつ見たてまつる
と驚きを顕にし、微笑みをもって迎えられる。

いと尊き大徳なりけり
たいへん徳の高い僧である。

さるべきもの作りてすかせたてまつり、加持などまゐるほど、日、高くさしあがりぬ
薬を作って飲ませて差し上げ、加持などをするうちに日が高く上がってきた。

すこし立ち出でつつ見渡したまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる
源氏が、すこし立って出歩いてみると、あたりが見渡せる高い所があり、ここかしこに僧坊の様子が手に取るように見下ろせる。

ただこのつづら折の下に、同じ小柴なれど、うるはしくしわたして、きよげなる屋、廊などつづけて、木立いとよしあるは
ここから、つづら折りで下に折れながらつづいている道の先に、他と同様の小柴の垣根ではあるが、整然とし渡されていて、小ぎれいな母屋に渡り廊下などが続いていて、趣のある木立が庭によく手入れされ植えてあるのを見て、

何人の住むにか、と問いたまへば
「どなたのお住まいか」と源氏が問うと

御供なる人、これなむ、なにがし僧都のこのふたとせ籠もりはべる方にはべるなる
お供の人が、「これはですね、なにがしの僧都が、この二年の間、山籠もりをしている母屋でございます。」

心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ、あやしうもあまりやつしけるかな、聞きもこそすれ、などのたまふ 
源氏、「そのような立派な方がいらっしゃる所なのに、見苦しい程にも身をやつし過ぎて来てしまったものだが、訪れたことを耳にされるかもしれない」などとおっしゃられる。

きよげなる童などあまた出で来て閼伽奉り、花折りなどするも、あらはに見ゆ
さっぱりとした身なりの子供たちが沢山出てきて、仏壇にお水をあげたり、花を折ったりするのもよく見える。

かしこに女こそありけれ、僧都はよもさやうにはすゑたまはじを、いかなる人ならむ、と口々言ふ
「あそこに女がいるということは、僧都は、まさか、このようには女を家には置かないものなのに、どういった故のある人なのでしょう」などとお供の者たちがささめきあっている。

下りてのぞくもあり、をかしげなる女子ども、若き人、童べなむ見ゆる、と言ふ
坂の下まで降りていって覗き見する者もあり、
「可愛らしい女の子、若い女房や子供たちが見える」などと言っている。

君は行ひしたまひつつ、日たくるままに、いかならむと思したるを
源氏の君は、また、勤行されて、そのうちにだんだんと日が高くなり、病はどうにかなるのだろうかと、経過をご心配になられている。

とかう紛らはさせたまひて、思し入れぬなむよくはべる、と聞こゆれば、しりえの山に立ち出でて京の方を見たまふ
「とかくに気を紛らせて、思い詰めないのがいいですよ」と大徳が申し上げると、「それでは」、と後方の小高い山に赴いて、京の方をご覧になられる。

はるかに霞みわたりて、四方(よも)の梢そこはかとなうけぶりわたれるほど
はるか四方に霞がかり、そこここの梢がそこはかとなく煙るように見渡せるので、

絵にいとよくも似たるかな、かかるところに住む人心に思ひ残すことはあらじかし、とのたまへば
「絵をみているようですね、こういうところに住んでいる人は、心に思い残すことはないことでしょう」とおっしゃれば、

これはいと浅くはべり、人の国などにはべる海山の有様などをご覧ぜさせてはべらば、いかに御絵いみじうまさらせたまはむ、富士の山、なにがしの嶽
「このくらいは序の口でございます。地方にございます海や山の景色などご覧になることがあれば、どれ程素晴らしい絵をお描きになられることか。富士の山、なにがし嶽、etc.」

など語りきこゆるもあり、また西国(にしくに)のおもしろき浦々、磯の上を言ひつづくるもありて、よろづに紛らはしきこゆ
などと見てきたように言うものもあり、または瀬瀬戸内の海岸の入り瀬の様子や、岩場の様子などを報告するものもあって、いろいろと源氏の気分を紛らせようと様々な話しをする。

近きところには、播磨の明石の浦こそなほ殊にはべれ
「ここから近いところでは、播磨の国の明石の海岸がとてもいい所でございます。

何の至り深き隈はなけれど、ただ海のおもてを見渡したるほどなむ、あやしく異ところに似ずず、ゆほびかなるところにはべる
ななにが、ということはないのですが、あたり一の海面の様子が広々として、ことのほかゆったたりと、暖かく穏やかで、ここの場所を訪れるると不思議に気分が良くなるものです。」

かの国の前の(さきの)守(かみ)、新発意(しぼち)の、むすめかしづきたる家、いといたたしかし
「ここの国を治めていた前任の国司は、最近新たに発願して坊主になった者で、娘を大切に育ててておりますが、たいそうな御屋敷でございます。」

大臣の後にて、いでたちもすべかりける人の、世のひがものにて、まじらひもせず、
「大臣の末えいで、出世してもおかしくないのにもかかわらず、世間からしてみたら変わり者で、人付き合いが悪く、

近衛の中将を捨てて申したまはれりける司なれど、かの国の人にもすこしあなづられて
近衛の中将の地位を捨てて代わりに申しつかったた国の司なんですが、播磨の国でもやはり人人々にすこし軽くみられるようなところがございまして、

何の面目にてかまた都にもかへらむ、と言いてて、かしらもおろしはべりにけるを、
『どんな面目躍如ということで、もう一度都にかえることができようか』と言い、断髪をして出出家をされてしまわれました。」

すこし奥まりたる山住みもせで、さる海づら出でゐたる、ひがひがしきやうなれど、
「すこし内陸に入れば、山に住むこともできるのに、わざわざこのような海辺に住むというのは、僧都としてはまともではないようでもあるのだが、

げに、かの国のうちに、さも人の籠もりゐぬべき所々はありながら
~たしかにこの国には、隠遁の生活には適する場所が、所々にありながら

深き里は人離れこころすごく、若き妻子の思ひわびぬべきにより
人里離れて暮らすのはぞっとするほど寂しく、若い妻や子供には辛いことであろうということで、

かつはこころをやれる住まひになむはべる
やはり海辺のほうが、気が晴れる佇まいとなっているようです。」

先つ頃(さいつころ)まかりくだりてはべりしついでに、有様見たまへに寄りてはべりしかば
「つい最近も、わたくしが帰郷したついでに、様子伺いにここに寄って参りましたが、

京にてこそ所得ぬやうなりけれ、そこら遥かにいかめしう占めて造れる様、さはいへど、国の司にてしおきけることなれば
京都でこそ所在が得られずにいたものでしたが、そこらじゅうの土地を占領して、いかめしく邸宅を造りあげている様子は国司(受領)の地位にてこそできるもので、

残りのよはひ豊かに経(ふ)べき心構へも二なくしたりけり
残りの人生も豊かに暮らせるだけの準備は怠りなくしていたようでございます。

後の世の勤めもいとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむはべりける、と申せば、さてその娘は、と問いたまふ
来世祈願のお勤めもよくしていて、かえって法師などより優れている人であります」と申しあげると、源氏は、「それではその娘は、」とお聞きになる。

けしうはあらず、かたち、心ばせなどはべるなり
「悪くないです。顔立ち、気立てなどもいいでしょう」

代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず
「代々の国司などが、相当下準備をして結婚などをほのめかす様ですが、入道は決して承諾せず、

わが身のかくいたづらに沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思う様殊になり
『我が人生はこのようにいたずらに過ぎ、沈んだ身にさえあるが、この娘ひとりにこそ格別な思い入れがある』

もし我に後れて、そのこころざし遂げず、この思ひおきつる宿世違はば海に入りね、と常に遺言しおきてはべるなる
『もしわたしが先にあの世へいったとして、その志が遂げられず、思い描いた宿世と違うようであったならば、入水してしかるべきである』と常に遺言を残しているということのようです。」

と聞こゆれば、君もをかしと聞きたまふ
と申し上げると、源氏の君も興味津々でお聞きになる。

海竜王の后になるべき、いつき娘なり、心高さ苦しや、とて笑ふ
「海竜王の后になる運命の秘蔵の娘なのですね、こころざしが高いのはつらいものだね」と言って笑う。

かく言ふは播磨の守(かみ)の子の、蔵人より今年冠(かふぶり)得たるなりけり
このように言うのは、現在の播磨の守(国司)の息子で、六位の蔵人より、今年従五位下に叙せられ、爵位を得た者である。

いと好きたる者なれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし、さてたたずみよるならむ。と言ひあへり
「たいへんな色男なので、かの入道の遺言を我こそが破ろうという気概があるんだろうね、それだから、わざわざかの地を訪れて寄って行くんだろう」などとお供のものたちは、それぞれ言いあっている。

いでや、さいふとも、田舎びたらむは、幼くよりさる所におい出でて、ふるめいたる親にのみ従ひたらむは
「いやいや、そうは言っても、垢抜けないでしょう。出生がそんな片田舎で、しかもその古めかしい考えの親に箱入り娘のように育てられたのであれば」

母こそ故あるべけれ、よき若人(わかうど)、童など、都のやむごとなき所々より類にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ
「母方は由緒ある出で、折に触れて、品のいい若い娘や童などを都の高貴な家から雇い入れて、眩いほどのもてなし様でお育てしているようです」

情けなき人なりてゆかば、さて心やすくしても、えおきたらじをや、など言ふもあり
「もともと、趣味のあまりないような身分の者が国司になって赴任したのならば、そのようにゆったりとした感じでお育てすることもできないものでしょう」などと言う者もある。

君、何心ありて、海の底まで深ふ思ひ入るらむ、底のみるめもものむつかしう、などのたまひて、ただならず思したり
源氏の君、「どういった理由で、海の底にまで深く思いが行くのでしょうね、海の底に生息している海松布(みるめ)でさえ気が重いでしょうに、」などとおっしゃり、ただならず関心を寄せていらっしゃる様子である。

かやうにても、なべてならず、もて僻みたること好みたまふ御心なれば、御耳とどまらむをや、と見たてまつる
このように、ひととおりではなくて一風変わったことをお好みになられるお人柄なので、関心を示されているのだろうとお見受する。

暮れかかりぬれど、おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ、はや帰らせたまひなむ、とあるを
「暮れかかったけれども発作も起こらないようですので、早くお帰りになられたほうが」と供の者が言うのを、

大徳(だいとこ)、御物の怪など加はれる様におはしましけるを、今宵はなほ静かに加持などまゐりて出でさせたまへ、と申す
大徳は、「物の怪などの気配が感じられますので、今宵はこのままご静養されて、加持祈祷をさせていただきますので、明日ご出発なさいませ」と申し上げる。

さもあること、と皆人申す。君も、かかる旅寝もならひたまはねば、さすがにをかしくて、さらば暁に、とのたまふ
「用心に越したことはない」と皆家来の者たちも申し上げるので、源氏の君は、このような旅の宿泊もあまりないことで、さすがに興に乗り「それならば暁に出発しましょう、」と仰せになる。