2011年8月25日木曜日

明け行くままに見渡せば

明け行くままに見渡せば、御殿の造りざま、しつらひざま、更にもいはず、
夜が明けて行くままにあたりを見渡すと、お屋敷の造りや、様々なしつらいが、言うまでもなくすばらしく、

庭の砂(すなご)も、玉を重ねたらむやうに見えて、輝く心地するに、
庭の砂も、まるで、玉を重ねているように思われて、心がパッと明るくなるような心地がするので、

はしたなく思ひたれど、こなたには女房などもさぶらはざりけり
場違いなところに来たように思っているけれども、こちらには女房などは控えていない。

疎きまろうどなどの参る、折節の方なりければ、男どもぞ、御簾の外(と)にありける
たまの来客などのある時に迎え入れる部屋で、折節の時にのみ使うところなので、男どもが、御簾の外で控えている。

かく、人むかへ給へり、とほの聞く人は、誰ならむ、おぼろげにはあらじ、とささめく
ここに、誰か迎え入れた、とほのかに聞いた人は、どんな人を迎えたのだろうか、並々ではないのただろう、とささめいている。

御手水(てうづ)御粥など、こなたにまゐる
手洗いの水やお粥などを西の対にお持ちする。

日高う寝起き給ひて、人なくては悪しかるべきを、さるべき人々夕づけてこそは迎へさせ給はめ
源氏は、日が高くなってから起きて、「女房がないと不都合でしょう、呼びたい人がいれば、夕方くらいにお屋敷に迎えにいかせますよ」

とのたまひて、対に、童べ召しにつかはす
とおっしゃり、東の対に、小さな子たちを呼びにやる

小さきかぎり、殊更にまゐれ、とありければ、
「小さい子だけ、特別にいらっしゃい」との仰せであれば、

いとをかしげにて、四人参りたり
たいへんかわいらしい子が四人来た。

君は、御衣にまつはれて臥し給へるを、せめて起こして、
わか君は、お着物にくるまれるようにして、臥していらっしゃるのを催促して起きあがらせて、

かう、心憂くなおはせそ、すずろなる人はかうはありなむや、
「そんなに憂鬱にしていらっしゃるのはよくありませんよ、心のない人は、ここまでできませんよ

女は心やはらかなるなむよき
女は心が柔らかいのがいいのですよ」

など、今より教へ聞こえたまふ
などと、今から教えはじめる。

御かたちは、さし離れて見しよりも、いみじう清らにて、
わか君のお顔立ちは、さし離れて見たときよりも、たいへん可憐でで、

なつかしう、うち語らひつつ、をかしき絵・遊び物ども取りにつかはして見せたてまつり、御心につくべきことどもをしたまふ
源氏は親しみを込めてお相手をして、きれいな絵やおもちゃなどを取りにやらして、見せて差し上げるなど、興味をひきそうなことを色々として差し上げる。

やうやう起き出でて見たまふに、鈍色(にびいろ)のこまやかなあるが、うちなえたるどもを着て、何心なくうち笑みなどして居たまへるが、いと美しきに、
だんだん起き上がって見ていらっしゃるが、濃いねずみ色の柔らかいお着物を着て、無邪気にニコニコと座っていらっしゃるのが、大変可愛らしいので、

我もうち笑まれて、見たまふ
源氏もついつい微笑んで、一緒に見ていらっしゃる。

ひんがしの対に渡りたまへるに、立ち出でて、
源氏が東の対の方へ行かれると、若君は立って部屋の端近まで行ってみて

庭の木立、池の方など、のぞきたまへば、霜枯れの前栽、絵に描けるやうにおもしろくて、
庭の木立、池の方など、覗いて見てみると、霜枯れしている植木が、絵に描けるほどの風流さで、

見も知らぬ、四位・五位、こきまぜに、隙なう出で入りつつ、
見たことも話したこともないような四位や五位の人々が、さまざまに、途切れることもなく出入りしている様子で、

げに、をかしき所かな、とおぼす
本当にすてきな場所、とお思いになる。

御屏風どもなど、いと、をかしき絵を見つつ、慰めておはするもはかなしや
屏風絵なども色々と趣向をこらしたものを見ると、心がなごんでくるのだから、たあいのないご様子なのである。