2011年8月24日水曜日

蔵野の露わけわぶる草のゆかり

君は、二三日、内裏へも参り給はで、この人をなつけ語らひ聞こへたまふ
源氏は、2~3日、宮中へも参上しないで、この人がなつくようにと、いろいろとお話しをされる。

やがて本にもとおあぼすにや、手習・絵など、さまざまに書きつつ、見せたてまつり給ふ
そのままお手本にとお思いになってか、お習字や絵など、様々に書いてはお見せして、

いみじうをかしげに、かき集めたまへり
すると見事な作品がだんだんと集まってくる。

武蔵野といへばかこたれぬ、と、むらさきの紙に書いたまへる墨つきの、いと殊なるを取りて、見ゐたまへり
そんな作品の中から、「武蔵野といったら思い出す人は~」というように、紫色の紙に書いてある墨色が非常に上品なものを手に取って見入っていらっしゃる。

少し小さくて
少し小さな字で、

根は見ねど、あはれとぞ思ふ武蔵野の露わけわぶる草のゆかりを、
「根は見えないけれども、武蔵野に自生して紫の染料として重宝されている草の、みんなが素敵だと思ってなかなか近づくことのできない、紫草のゆかりなのですね」

とあり
と書いてある。

いで君も書いたまへ
「さああなたもお書きください」

とあれば
と言うと、

まだようは書かず
「まだうまくは書けません」

とて、見上げたまへるが、何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて
と言って見上げるお顔が、あどけなくて可愛らしいので、源氏も自然と微笑まれて、

よからねど、むげに書かぬこそわろけれ、教へきこえむかし
「上手じゃないからといって、全然書かないのはいけませんよ、書き方をお教えしましょう」

とのたまへば、うちそばみて書いたまふ手つき、筆とりたまへる様の幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながらあやしと思す
と言うと、こちらに横顔を向けてお書きになる手つき、筆をとる様子があどけないのも、いとおしいばかりに感じ入れば、我ながら不思議なことに思われる。

書きそこなひつ
「書き間違えました」

と恥ぢて、隠したまふを、せめて見たまへば、
と恥じらってお隠しになったものを、無理に手にとって見てみると

かこつべきゆゑを知らねばおぼつかな、いかなる草のゆかりなるらむ
「どうして思い出すのか理由はわかりません。 紫草は、どんな草なのでしょう? わたしとどんな関係があるんでしょう?」

といと若けれど、生い先見えて、ふくよかに書いたまへり
とたいへん幼い字だけれども、この先が楽しみな感じで、ふくよかに書いている。

故尼君のにぞ似たりける
亡くなった尼君の手によく似ている。

今めかしき手本習はば、いとよう書いたまひてむ、と見たまふ
今流行りの字体をお手本にして習えば、すごくよくなるだろうとお考えになる。

雛など、わざと屋どもつくりつづけて、もろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らはしなり
お人形や、わざわざその家までも作り並べて、ご一緒に遊んだりしていると、この上なく深いもの思いからも、気が紛れてしまうのだった。