2011年8月31日水曜日

中空なる御ほどにて

忌みなど過ぎて、京の殿になど聞きたまへば、ほど経て、みづから、のどかなる夜おはしたり
1ヶ月とされているもの忌みの期限も過ぎ、今は京の屋敷に戻ってっいらしゃると聞き、それから少し経った頃にご自身でお暇をみつけて夜にお出掛けになった。

いとすごげに荒れたるところの人少ななるに、いかに幼き人おそろしからむと見ゆ
すごく荒れているところで、人の気配も少ない中にどんなにかおそろしく暮らしているだろうかと感じられる。

例の所に入れたてまつりて、少納言、御有様などうち泣きつつ聞こえ続くるに、あいなう御袖もただならず
前回と同じく南の廂の間にお通しして、少納言がご臨終の様子などを涙をたたえながらお伝えするので、源氏もついもらい泣きをしてしまわれる。

宮にわたしたてまつらむとはべるめるを、故姫君の、いと情けなく憂きものに思ひきこえたまへりしに、
「兵部卿の宮様のところへお預けすることとなっていますが、亡くなった姫君があちら様をたいへん薄情で憂鬱の種に思っていらしたということもあり、

いとむげに稚児ならぬ齢の、またはかばかしう人のおもむけをも見しりたまはず、
まったく無邪気な幼児という年ではなく、かといってしっかりと人の意向をお分かりになる程でもなく、

中空なる御ほどにて、
中途半端なお年頃で、

あまたものしたまふなる中の、あなづらはしき人にてや交わりたまはむなど、
沢山いらっしゃる宮様のお子様のなかに、軽くみくびられた様に扱われはしないかなど、

過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつること、
尼君も、いつも思い嘆いておりましたが、

しるきこと多くはべるに、
実際にそのように思えることも多くありましたので、

かくかたじけなきなげの御言の葉は、後の御心もたどりきこえさせず、いとうれしう思ひたまへられぬべきをりふしにはべりながら、
かりそめにもいただけるかたじけないお言葉は、後々のことはわからないこととしても、大変嬉しく思っている折ではございますが、

すこしもなぞらひなる様にもものしたまはず、御年よりも若びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる、と聞こゆ
姫さまが、少しもお似合いのようではいらっしゃらずに、お年の程よりまだ子ども子どもしていらっしゃいますので、なんとも恥ずかしい次第でございます」と申し上げる。

何か、かうくり返し聞こえ知らする心のほどを、つつみたまふらむ
「どうして、このように何回も申し上げております私の心の程をご遠慮なされるのでしょうか、

その言ふかひなき御心の有様の、あはれにゆかしうおぼえたまふも、
そのあどけない、そのままのお心が、大変心に染みてゆかしく思われてしまうのも、

契りことになむ、心ながら思ひ知られける
前世よりの浅からぬご縁なのだろうと、心のままに思い知ったのでございます。」

なほ人づてならで、聞こえ知らせばや
「他を介せずに、直接姫にお伝えしたい気持ちもございます。」

あしわかの浦にみるめはかたくとも こは立ちながらかへる波かは
和歌の浦(歌枕)で、会うことは難しくても、立ち返る波はもう戻ることができない。
葦が若く生い茂っているわかの浦の海松布(海草)を採るのが難しくても、せっかく思い立ったのだから、思いをひる返すことはできないよ。

めざましからむ
驚いたことだね、

とのたまへば、
と仰せになれば、

げにこそいとかしこけれ、とて
まことに畏れ多いことで、と言って

寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむほどぞ浮きたる
寄る波の心も知らないのに、若い姫君がお誘いに靡くとしたら、それはただ軽卒なことでしょう。

わりなきこと
無理というもの。

と聞こゆる様の馴れたるに、少し罪許されたまふ
とすらすらとお詠みになるのが慣れた様子なので、源氏は少し心がお和みになられる。

なぞ越えざらむ
どうして越えられない、

と、うちずじたまへるを、身に染みて若き人々思へり
と、口ずさまれるのを聞くと、若い女房たちは身に染みて感慨深い。

君は上を恋ひきこえたまひて泣き臥したまへるに、御遊びがたきどもの、
姫君は尼上を恋しがって泣きながら臥していらしたところに、遊び仲間のわらわべが来て、

直衣着たる人のおはする、宮のおはしますなめり
「直衣を着ている方がいらっしゃるよ、宮がおいでになったのかな、」

と聞こゆれば、起き出でたまひて、
と教えると、起き出していらっしゃって、

少納言よ、直衣着たりつらむは、いづら、宮のおはするか
「少納言よ、直衣を着ている方ってどこにいらっしゃるの? 宮がおいでになったの?」

とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし
と、近くに寄ってこられるお声がたいへん可愛らしい。

宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず、こち
「宮ではありませんが、またお嫌いになる必要もありませんよ、こちらへ、」

とのたまふを、恥づかしかりし人と、さすがに聞きなして、
という声で、あっ源氏の君、とさすがにお判りになって、

あしう言ひてけり、と思して、
まちがえたのだ、と思い、

乳母にさし寄りて、
乳母のところへ行き、

いざかし、ねぶたきに
「さあ行こうよ、眠たいから、」

とのたまへば
と言えば

いまさらに、など忍びたまふらむ、この膝の上に大殿籠れよ、今少し寄りたまへ
「今更に、どうしてお隠れになるのですか?わたしの膝の上でお休みになりなさいよ、さあこちらへ、」

とのたまへば、乳母の
と仰せになれば、少納言の乳母は、

さればこそ、かう世づかぬ御ほどにてなむ
「申し上げた通りに、このように人見知りをする程でございまして、」

とて、押し寄せたてまつりたれば、何心もなくゐたまへるに、
と、姫君を押してさしあげると、何心もなくちょこんとお座りになっているので、

手を差し入れて探りたまへれば、
几帳の下から手を差し入れてみると、

なよよかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる、
柔らかに着なしたお着物に髪がつやつやとかかって、髪の端を手にとると、ふさふさとしている感触が探りつけられる、

いとうつくしう思ひやらる
さぞかし可愛らしい姫君だろう

手をとらへたまへれば、うたて、例ならぬ人の、かく近でうきたまへるは、恐ろしうて、
手をおとりになると姫君は嫌がって、知らない人がこのように近づいてくるのは恐ろしく、

寝なむといふものを
「寝るって言っているのに、」

とて強ひてひき入りたまふにつきて、すべり入りて、
と、ぐいっと手をお引きになったのに引かれるようにして、すべり向こう側に抜けると、

今は、まろぞ思ふべき人、なうとみたまひそ
「これからは、わたくしがあなたを大切に思っていくのですから、お嫌いにならないで下さいね。」

とのたまふ
と仰せになる。

乳母
少納言の乳母

いで、あなうたてや、ゆゆしうもはべるかな、聞こえ知らせたまふとも、さらに何のしるしもはべらじものを
「まあなんていうこと、ゆゆしきことでもござますわ、言い聞かせたところで何のあかしもありはしないのに、」

とて、苦しげに思ひたれば、
と苦しそうに思っているところへ、

さりとも、かかる御ほどをいかがはあらむ
「いくらなんでも、こんなに可愛らしい姫君をどうこうしようということはありません。

なほ、ただ世に知らぬこころざしのほどを見果てたまへ
ただ、並々ではないわたしの心の程を最後まで見てください。」

霰降りあれて、すごき夜の様なり
霰が散り、荒れた空模様のぞっとする夜の様相である。

いかで、かう人少なに、心細うて過ぐしたまふらむ
「どうやって、この少ない人数で心細い夜を過ごされるのでしょうか、」

とうち泣いたまひて、いと見捨てがたきほどなれば、
と涙ぐんで、放っておけない気持ちでいらっしゃるようで、

御格子参りね、もの恐ろしき夜の様なめるを、宿直人(とのゐびと)にてはべらむ
「格子を降ろしなさい、もの恐ろしい夜になりそうなので、宿直のお役をしていきましょう」

人々近うさぶらはれよかし
「皆、近くにおいで下さい」

とて、いと馴れ顔に御帳(みちょう)の内に入りたまへれば
と、たいへん慣れたご様子で、ご寝室にお入りになったので、

あやしう思ひのほかにもと呆れて、誰も誰もゐたり
あっけにとられて、あまりの思いのほかのことと唖然として、誰もがそこに居あわせるのだった。

乳母は、うしろめたう、わりなし、と思へど、荒らましう聞こえ騒ぐべきならねば、うち嘆きつつゐたり
少納言の乳母は、「大丈夫かしら?どうしよう・・・」と思っても、ことを荒立てて言い騒ぐべきことではないので、ただ嘆いてのみおいでになる。

若君は、いと恐ろしう、いかならむ、とわななかれて、
若い姫君は、とても恐ろしく、どうなるんだろうと小刻みに震えていらっしゃる。

いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたくおぼえて、
若々しいお肌が、緊張のあまり少し冷たくなってしまっているのを、いとおしくお思いになって、

単衣(ひとへ)ばかりを押しくくみて、
薄い単衣を押し込むようにして、羽織らせてあげて、

わが御心地も、かつは、うたておぼえたまへど、
ご自身のご気分としても、頭の一方では、異様な振る舞いのようにも思われるのだけれども、

あはれにうち語らひたまひて、いざ、たまへよ、をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に
ただただお優しくお声を掛けられて、「是非においでくださいませよ、綺麗な絵とか、雛遊びなどできるのですよ。」

と心につくべきことをのたまふ気配のいとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖ぢず、
と、姫のご機嫌を伺っているご様子はたいへん安心できる感じなので、幼心にもそれほど怖がらずに、

さすがにむつかしう、寝も入られずおはして、身じろき臥したまへり
それでも気分がいいわけではなく、眠気も催さないので、そのまま横になって起きていらっしゃる。

夜一夜(よひとよ)風吹き荒るるに、げにかうおはせざらましかば、いかに心細からまし
一晩中、風邪が吹き荒れているので、「まことにこのようにいらして下さらなければどんなに心細かったことかしら、

同じくはよろしき程におはしまさましかば、
同じことならば、姫君がお年頃でいらっしゃったならば・・・・」

とささめきあへり
と、女房たちはささめき合っている。

乳母はうしろめたさに、いと近うさぶらふ
少納言の乳母は、心配のあまり御帳にへばりついている。

風邪少し吹きやみたるに、夜深う出でたまふも、事あり顔なりや
風邪が少しやんだので、夜明け前に退出されるというのも、あたかも事が終わったかの風である。

いとあはれに見たてまつる御有様を、今はまして片時の間もおぼつかなかるべし
「たいへん可愛らしいご様子をお見受けしてしまった今となっては、片時の間も忘れられないことでしょう。

明け暮れながめはべる所に渡したてまつらむ、かくてのみは、
明け暮れ所在無くしておりますわたしくのところへ是非おいでください。このままでは・・・・」

いかがもの怖じしたまはざりけり
どうして怖くなかったのですか?」

とのたまへば、
と仰せになれば、

宮も御迎へになど聞こえのたまふめれど、この御四十九日過ぐしてや、など思うたまふる
「宮様も、姫君をお迎えにいらっしゃるということですが、四十九日が過ぎてからになるかと思っております。」

と聞こゆれば、
と申し上げると、

頼もしき筋ながらも、よそよそにてならひたまへるは、同じうこそ、疎うおぼえたまはめ
「ご親族ではあるけれども、ずっと別々にお暮らしになられたのであれば、わたくしと同様に、よそよそしくお感じになることでしょう、

今より見たてまつれど、浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ、とて、かい撫でつつ、かへりみがちにて出でたまひぬ
「今初めてお会いしましたが、わたしの思いの深さはお父様以上のはずです」と、髪をかき撫でつつ、何度も振り返りながら、ご退出なされた。

をかしかりつる人のなごり恋しく、ひとり笑みしつつ臥したまへり
可愛らしい姫君の名残りを思いながら、ひとりでに笑みがこぼれつつお休みになられていた。

日高う大殿籠り起きて
日が高くなってから目覚め起きて、

ふみやりたまふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつすさびゐたまへり
お手紙をお遣わしになるのに、書く言葉もいつもとは違うので、筆を中断しつつあれこれお考えになられる。

をかしき絵などをやりたまふ
きれいな絵などを一緒に送られた。